ごあ*1「教養としてのビートルズ」https://noname420.hatenablog.com/entry/2026/06/05/212824
『ギター・マガジン』という雑誌が「教養としてのビートルズ学」を特集したという。これは雑誌の特集なので、yomoyomo氏の集計*2には数えられないと思う。
まあ「過剰にマニアックになることなく、ほどほどに、ちょうどいい感じに知っている」というのは、あくまでも「教養」科目であって、専門科目ではない。
教養って何なのか。教養のある人とはどんな人か。学識と教養は違うのか。どうも、詳しい知識やトリビアを持っていたり、難しい問題が解けたりするだけでは「教養がある」とは見なされず、その豊かな知識を血肉化して人間性を高めている人が「教養のある人」ということになりそうだ。自分の持っている知識はきわめて偏っており、基本的にもの知らずなので、教養はない。ビートルズに関しては子供の頃から知りすぎていて、あらゆる曲のごく微細な部分まで忠実に脳内再生できる。血液の一滴一滴に彼らの音楽が流れていると真顔で言い切ることができる。こういうのはきちがいと言って教養とはまた別問題だろう。過剰にマニアックになることなく、ほどほどに、ちょうどいい感じに知っていることを教養と言うのかもしれない。
「 詳しい知識やトリビアを持っていたり」する人は〈物知り〉と呼ばれていたのではないか。今でも〈物知り〉という言葉は生きているのか。また、〈物知り〉と「教養」との関係は?
「血肉化」ということが言われているけど、或る知識を〈お勉強〉しましたという違和感というのはある。言語でいえば、〈母語〉性の有無。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2026/04/16/152857 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2026/06/01/184029
*2:「『教養としての〇〇』本の世界再び(2024年~2026年版)」https://yamdas.hatenablog.com/entry/20260525/kyouyou-books 「『教養としての〇〇』本の世界(2023年版)」https://yamdas.hatenablog.com/entry/20231116/kyouyou Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2026/05/28/155541