記憶/忘却(メモ)

「私」の心理学的探求―物語としての自己の視点から (有斐閣選書)

「私」の心理学的探求―物語としての自己の視点から (有斐閣選書)

榎本博明『〈私〉の心理学的探求』*1からメモ*2

マリゴールド・リントン*3「日常生活における記憶の変形」ナイサー編『観察された記憶』。


(前略)リントンは、毎日その日の自分自身の生活の中から最低二つの出来事を選び出して記録するということを六年間も続けた。六年の間に記録した出来事は五、五〇〇項目以上にも達した。そして、毎月一回記憶検査を行った。その検査では、書きためられた多くの出来事の中から、毎月約一五〇項目をランダムに引き出して、それぞれの出来事を思い出しながら時間的順序に並べて、個々の出来事の生じた日付を推定した。六年の間に検査した項目は一一、〇〇〇項目に達した。項目作成に日々費やした時間は数分に過ぎなかったが、毎月の検査には六〜一二時間を要したという。
このリントンの実験で明らかになったことのひとつに、はじめての出来事というのが比較的鮮明に記憶されており、時間的順序を推定する際の手がかりとして抜群の効果をもっているということがある。自分の二〇〇回目の授業時間のこととか、自分の三〇〇回目のテニスの試合のこととか、ある友だちとの一〇〇回目の会食の様子とかを思い出すのは、まず不可能であろう。ところが、初めて授業をもったときのこと、新しいパートナーと組んではじめてテニスをしたときのこと、新しいレストランが開店して出かけたときのことなどは、一〇回目、二〇回目のときのことのように埋没することはなく、ある程度の詳細を伴った想起が可能であろう。(略)
また、リントンは、四年目頃から、項目カードを引き出して読んでみても、何のことが書かれているのかさっぱり意味がつかめないといった項目に遭遇するようになった。同じ項目でもはじめの四年間はそのようなことなく内容が理解されていたのだから、書き方が悪かったということではありえない。書かれて間もない頃にはどんな出来事であったかを鮮明にイメージできるような項目カードのいくつかが、時とともに何の連想も喚起しない項目、まったく意味をなさない項目へと変質してしまったのである。これはまさに日常生活の鮮明なエピソードも時とともに忘却されることを示すものと言える。
このような日常生活の出来事の忘却の様子は、記憶心理学者エビングハウス*4が提示した忘却曲線*5とは著しく異なるものであった。項目が書かれて一年のうちに忘却される比率は一%以下であった。二年目以降は、毎年五〜六%の安定した比率で忘却が生じていた。つまり、初期にほぼ完全に保持された後、二年目以降はほぼ一定の比率で保持の漸減傾向を示すことが示された。これは、はじめのうち急激に保持内容が失われ、その後はほぼ一定の水準を保つなだらかな下降曲線を描くというエビングハウス忘却曲線(記憶の保持曲線)とはまったく異なるものとなっている(後略)(pp.86-88)


W. Wagenaar “My memory: A study of autobiological graphical memory over six years” Cognitive Psychology 18, pp.225-252, 1986


(前略)ワグナーは、やはり六年間に約二、四〇〇の出来事を記録した。出来事ごとに、だれ、何、どこ、いつ、といった四種の情報を記録するとともに、快−不快度、感情度、顕著度を評定した。記憶検査では、四つの手がかりを順に提示して、その出来事の想起を行った。
その結果をみると、正答率は四年間で七〇%から三五%へと落ち込んでいた。そして、検索手がかりとしての有効性は、何、どこ、だれ、いつ、の順に高いことがわかった。たとえば、四年前の何月何日にどんな出来事があったかを問われても、答えられる人はまずないであろう。だが、あるテニスの試合をみに行ったときのことであるという情報が与えられれば、そういえばだれだれと出かけたとか、どこで行われたとか、たしかいつ頃のことであったとかが、完全に正確でなくともある程度思い出されることが期待できる。また、快と評定された出来事は、不快あるいはどちらともいえないと評定された出来事よりも再生率が高かった。楽しい出来事、うれしい出来事は想起されやすく、嫌な出来事、つらい出来事は想起されにくい。こうした記憶の性質は、人間の自己防衛的な傾向として理解できるものである。(p.89)
Brown, N. R., Rips, L. J. , & Shevell, S. K. “The subjective dates of natural events in very long-term memory” Cognitive Psychology 17, pp.139-177, 1985

(前略)そこでは、一九七七〜八二年の前半の間に起こった五〇件のニュースについて、何月に起きたものであるかを[被験者に]判断させている。それらのニュースの中には、各人がよく知っているものもあれば、あまり知らないものもあった。つまり、知識量の多い出来事については、実際に発生した時期よりも、平均〇・二八年最近の出来事として判断されていた。逆に、知識量の少ない出来事については、実際に発生した時期よりも、平均〇・一七年昔の出来事として判断された。よく知っていることがらのほうが身近に感じられるため、実際よりも最近に起こったもの錯覚されやすいということであろう。(pp.89-90)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130325/1364141796

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130328/1364434115の続き。

*3:See http://en.wikipedia.org/wiki/Marigold_Linton “Impenetrable racial barrier in higher education broken 50 years ago this fall!” http://www.planningcommunications.com/jf/linton_pr.htm

*4:See eg. http://en.wikipedia.org/wiki/Hermann_Ebbinghaus またMemory: A Contribution to Experimental Psychology(1913, originally 1885)がウェブで読めるようだ。http://psychclassics.yorku.ca/Ebbinghaus/index.htm

*5:See eg. http://en.wikipedia.org/wiki/Forgetting_curve