「タイショウ性」(メモ)

翻訳のココロ (ポプラ文庫)

翻訳のココロ (ポプラ文庫)

鴻巣友季子『翻訳のココロ』*1からメモ。


そう、『嵐が丘』という小説は、非常に「タイショウ的」に造られた作品なのである。タイショウ性を意識した構造。タイショウというのは、対照的(コントラスト)と対称的(シンメトリー)両方のことだ。
まず相対するリントン家とアーンショウ家、金髪碧眼で繊細なたちのリントン家と、鳶色の髪に黒い瞳で気性の激しいアーンショウ家。宿敵のエドガーは色白(フェア)なのに対し、ヒースクリフはジプシーだから肌も髪も黒い(ダーク)。
静と動。明と暗。
また二家のロケーションも(略)緑の平野に広大な猟園を擁して建つお屋敷と、険しい丘の頂きに北風に吹き曝されて建つ農家。
穏と厳、暖と冷。
こういうコントラストが周到に配されているのだけれど、一方、シンメトリー性も強いと言われる。アーンショウ家もリントン家も、父、母と、ほぼ同年代の兄と妹という家族構成だ。しかも、両兄妹とも、じきに両親を失ってみなしごになってしまう。これはこの物語にとって、なくてはならないプロット。兄妹は両親を失うことで、若くして遺産を譲り受ける。ここから、さまざまな奸計が兆し、政略結婚、お家乗っ取り、復讐劇などが展開していくのである。
嵐が丘』の人物関係図は、じつにみごとなシンメトリーを描く。男女六人三組のカップルが誕生し、合計三人の子どもが生まれ、彼らはみなじつに「順序正しく」死んでいくのだ。まるで財産をリレーするように。ヒロインのキャサリン・アーンショウが結婚してキャサリン・リントンになり、波瀾万丈の末、輪廻転生するように、最後の最後はまたキャサリン・アーンショウに戻る予感を残して物語が終わるというのも、象徴的だ(略)。
この物語は、男女の三角関係とも四角関係とも読めるが、わたしとしては、「男女五人のあいだに四つの近親相姦的三角関係がある:(五・四・三の関係)と捉えている。(略)この三角関係をひとつ挙げると、キャサリンヒースクリフエドガーの関係。この三人は誰も血はつながっていないのに、どうして「近親相姦的」かというと、キャサリンヒースクリフは「精神的な一卵性双生児」とわたしは捉えているからだ。(pp.93-94)。
また、『嵐が丘』最後のパラグラフ*2

I lingered round them, under that benign sky; watched the moths fluttering among the heath and harebells, listened to the soft wind breathing through the grass, and wondered how any one could ever imagine unquiet slumbers for the sleepers in that quiet earth. (p.279)
「unquietとquietという語のコントラスト(対照性)、slumbersとsleepersという語の一種のシンメトリー(対称性)」(p.138)。
Wuthering Heights

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