レーニンby 桜井哲夫

桜井哲夫レーニン」in 今村仁司編『現代思想ピープル101』新書館、1994、pp.210-211


少し抜書き。
レーニンが最初に属した「ロシア・ジャコバン派」について;


ロシア・ジャコバン派は、知的エリート(インテリゲンツィア)を革命の主体とし、革命党(前衛党)による権力奪取をめざす集団である。それは、十九世紀半ばを過ぎても、成人の九割以上が非識字者であったロシアという後進国家にあらわれた使命感をもった青年たちの特異な革命集団であり、ロシアに輸入されたサン=シモン主義を背景にもつ集団であった。(p.210)
「サン=シモン主義」については、桜井氏の『社会主義の終焉』*1も参照のこと。
社会主義の終焉―マルクス主義と現代 (講談社学術文庫)

社会主義の終焉―マルクス主義と現代 (講談社学術文庫)

また、

レーニンは知的エリートによる革命を目指したロシア・インテリゲンツィアの伝統のなかに生まれた革命家であり、禁欲的倫理の体現者であった。ロシア革命の後、レーニンは、テーラー主義を導入することをためらわなかったし、権力を維持するために反対派に対して、苛酷なまでの弾圧を行った。「全体の利益の優位のもとでの平等主義」というジャコバン主義は、若い時期から変わらなかったといっていい。また彼は、十九世紀末から二十世紀にかけての新しい知的潮流を理解できなかった。マルクスを、恣意的に解釈しただけで、理論的には新しいものを提示することはできなかった。ロシア革命後の、列強の包囲網のなかで戦時共産主義という強権的な体制を維持せざるを得なかったためとはいえ、結果的には、ソヴェト連邦という、巨大な国家社会主義ないし全体主義国家を残した。その意味で、上からの強引な産業化をめざして、収容所国家を生んだスターリン主義は、レーニン主義の延長にあると言わねばならない。(p.211)
レーニンについては、Lesley Chamberlain The Philosophy Steamer: Lenin and the Exile of the Intelligentsia*2もまた参照のこと。
The Philosophy Steamer: Lenin and the Exile of the Intelligensia

The Philosophy Steamer: Lenin and the Exile of the Intelligensia

ところで、和田春樹、佐和隆光、新藤宗幸「「社会主義」はどこへ行くのか」(in 佐和隆光、新藤宗幸編『90年代の選択 世界と日本を読む』*3、pp.227-225)における和田春樹の発言をメモしておく;

(前略)国家社会主義のシステムというのは、国家が資源を集中して、計画的に配分する超傾斜生産システムです。もともと、周囲は全部敵ということで、まず第一に軍事に集中する。第二は工業化の面で資本主義国に追いつくため、重工業に集中する、そして消費財の面では最低生活は全員に対して保障する、こういう経済だったと思います。
このシステムは政治的には一党独裁的なシステムと結びつき、国民は動員的にこのシステムに参与していったのです。とにかく国家社会主義のシステムは航空機、戦略核兵器と宇宙ロケットでは完全に独自のものをつくり出すことに成功して、資本主義社会とはパリティの状態をつくり出したのです。
スターリン時代には労働者に対する厳罰主義と一種の恐怖による締めつけがあって、労働者は必死に働くことになったのですが、締めつけはスターリン批判のなかで緩和されてきて、ブレジネフ体制のもとでは週休二日制など、労働者に対してかなりの優遇政策もとるようになりました。これにより、社会に安定的な気分をつくり出し、その意味である程度発展の余地をつくり出したのですが、同時にそれがタテマエとホンネの乖離をもたらすことになって、二重性がブレジネフ時代に拡大していきました。
恐怖のサブシステムは除かれて、三〇年代にできた本システムの可能性が発現されたのですが、同時に公的世界の統制と私的世界の自由という分離が生まれ、やがて一方では労働規律の低下と、他方では上層部における腐敗で、経済が次第に失速状況に入っていたということが起こってきたと思います。
他方で、資本主義社会は新しいコンピューター時代に入っていきます。そのなかで、上に全部決定と情報を集中して、底辺のほうは執行だけをさせ、動員的な形で労働者を巻き込んでいく社会主義システムでは、新しい科学情報時代にキャッチアップすることは困難になったのです。(pp.234-235)
90年代の選択―世界と日本をよむ

90年代の選択―世界と日本をよむ

和田氏は1992年に『歴史としての社会主義』を出している。
歴史としての社会主義 (岩波新書)

歴史としての社会主義 (岩波新書)