天木についてちょっと

天木直人*1「私が政治を全否定する理由」http://www.amakiblog.com/archives/2011/06/18/#001954


天木直人の政治的なスタンスというのは米国のお茶会系の人々*2に近いようだ。或いは名古屋の河村たかしとか。それについて本格的に論じるということはしない。ただ、上掲のエントリーについての〈重箱の隅〉的突っ込み。
天木は「インターネットで見つけた匿名の書き込み」を引用している。それを「抄訳」したと。原文は英語その他の言語だったのか。日本語の文章を細部を端折りつつ日本語のまま転載することを「抄訳」とは言わないぜ。
また、彼は「政治を全否定する」と言いながら、引用文や地の文章で語られているのは「政治」ではなく行政に属する「官僚」や「公務員」のバッシングである。天木は政治と行政の区別について知らないのか、それとも意図的に無視しているのか。
天木及び「匿名」が「官僚」や「公務員」をバッシングしている動機というのは〈甘い汁吸いやがって、この野郎!〉という妬みのルサンティマンである。妬みという劣情を刺戟し・煽っているということ自体、徹底的に批判されなければならない。非公務員にも同等な「賞恤金」を支払えと要求することが真っ当な政治的思考なのでは? また、天木は「何の組織にも属さないバラバラのサラリーマン」を呼び出し、「彼らの声や利益を代弁する政党はなく、政治家はいない」という。そうした〈俺たちは代表されていない〉という声に応えつつ、〈誰も代表していないが故に誰もを代表してしまう〉という零記号*3的な独裁者or独裁政党が登場する可能性について、マルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』を引っぱりながら論ずることもできるだろうけど、ここではやらない。また、天木は「職業政治家」や「地方公務員」を廃止して、「その仕事を希望する住民たちに輪番制で割りあて」ると主張している。たしかレーニンも『国家と革命』でそのようなことを主張していたと思うが、天木って隠れレーニン主義者だったのか。レーニンの場合、近代的なホワイトカラー労働についての認識が甘かったということはいえるだろう。但し、「職業政治家」なんて要らねぇということに関しては、俺もけっこう近いことを考えてはいるが*4、それ以前に政治と行政を区別できないということで、根本的に台無しになっている。ところで、天木は(実際は考えが近い)小泉純一郎と何故喧嘩したのだろうか。

ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日 (岩波文庫 白 124-7)

ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日 (岩波文庫 白 124-7)

国家と革命 (岩波文庫 白 134-2)

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