Nelson on history of nukes in Japan

Craig D. Nelson "The Energy of a Bright Tomorrow': The Rise of Nuclear Power in Japan" Origins Volume 4 Issue 9, 2011 http://ehistory.osu.edu/osu/origins/article.cfm?articleid=57


日本における原子力開発史。福島原発の事故を承けて書かれたものだが、拙blogの読者の方々にとっては、あまりに〈概説的〉で物足りないかも知れない。『鉄腕アトム』の話とかも出てきますが。ところで、Nelson氏は、アイゼンハワーによる「平和のための原子力Atoms for Peace)」演説について、米国とその同盟国との関係強化という意図のほかに、原子力テクノロジーの共有を通じて蘇聯との間で緊張緩和を図り、核軍縮を進めていくという意図もあったとしているのだけれど、どうなのだろうか。勿論、その翌年というか数か月後に「福竜丸事件」が起きて、アイゼンハワーの「平和」という意図の信憑性が激落してしまったということはあるのだけれど。また、この「福竜丸事件」の意味としては、放射能被害の実態が日本人に初めてあからさまに示され、それについての議論が公になされるようになったということがある。広島や長崎の被爆の実態については、GHQの検閲によって公に議論されるということはなかった。
さて、このテクストの文献目録*1には、吉岡斉*2の英語のテクストが挙げられているので、それをメモしておく;


Yoshioka, Hitoshi. “Technology versus Commercial Feasibility: Nuclear Power and Electric Utilities,” in Science, Technology And Society in Contemporary Japan, edited by Morris Low, Shigeru Nakayama, and Hitoshi Yoshioka, 66-81. Cambridge: Cambridge University Press, 1999.

Yoshioka, Hitoshi. “Forming a Nuclear Regime and Introducing Commercial Reactors,” and “Nuclear Power Research and the Scientists’ Role.” In A Social History of Science and Technology in Contemporary Japan: Road to Self-reliance, 1952-1959, edited by Shigeru Nakayama, Kunio Goto, and Hitoshi Yoshioka, 80-124. Trans Pacific Press, 1999.

Yoshioka, Hitoshi. “Future Plans for Nuclear Physics Research,” “The Rise of Nuclear Fusion Research,” and “The Development and Utilization of Nuclear Reactors.” In A Social History of Science and Technology in Contemporary Japan: Volume 3: High Economic Growth Period, 1960-1969. edited by Shigeru Nakayama and Hitoshi Yoshioka, 189-273. Melbourne: Trans Pacific Press, 2006.

Yoshioka, Hitoshi. “Reorganization of the Administration and Regulation of Nuclear Development,” “Nuclear Power Plant Location Disputes,” “The Development of Nuclear Fuel Cycle Technology,” and “The Development of Nuclear Fusion Research.” In A Social History of Science and Technology in Contemporary Japan: Volume 4: Transformation Period 1970-1979, edited by Shigeru Nakayama and Hitoshi Yoshioka, 189-273. Melbourne: Trans Pacific Press, 2006.

さて、Talpidae氏からコメントをいただく、

いまでは忘れられかけていますが、行き場を失った原子力船「むつ」というのもありましたしね。当初のかけ声だったはずの「原子力の平和利用」という枠組みがいつのまにか語られなくなってしまったのはなぜなのか、にもかかわらずなぜ原子力発電だけは拡大継続していったのかは、あらためて検証してみてよい作業のように思えました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110515/1305448821#c1305467136

その後、もう少し調べてみたら、軍事力転用を懸念した反原子力運動から、原子力発電の安全性を問題にする反原発運動への転換点は、74年の「むつ」の事故が大きなきっかけとなったようです。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110515/1305448821#c1305517709
原子力船というのは、米国にしても蘇聯にしても、殆ど(潜水艦を含む)軍艦としてしか実用化されていなかったわけで、「むつ」に関しても少なくとも当初は「軍事力転用を懸念した反原子力運動」だったろうと思います。因みに、高木仁三郎氏が「原子力資料情報室」を設立したのが1975年、また「プルトニウム研究会」を結成したのは「むつ」事故の前年である1973年です。「原子力資料情報室」の設立は反原発運動がローカルな〈住民運動〉の問題から全国区的な問題へと転化する契機になったのではないかとは思います。なお、1970年代における原発問題の啓蒙としては、東大自主講座の活動が重要だったと思う。というか、私が原発に関して初めて読んだのは自主講座のパンフレットだった。『原発事故はなぜくりかえすのか』のほかに、『市民科学者として生きる』もマークしておきます。
原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)


失礼、世間的にはこの時期でも、その前に武谷三男『安全性の考え方』(1967年)がでていますね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110515/1305448821#c
たしか、この年には福井県敦賀で反原発住民運動が始まっていると思います。大阪大学の久米三四郎氏(故人)が当初からそれを支援していた筈。ところで、日本における原発発祥の地といえば、茨城県東海村の筈。〈東海村〉に対する日本社会のリアクションはどうだったのか、正直言って、私はわからないです。ただ、田口洋美氏によると、東海村において原発以前のローカルな社会的記憶は吹き飛んでいるということですが*3