解放されて

樋口陽一*1『先人たちの「憲法」観――”個人”と”国体”の間――』(岩波ブックレット、2000)に、高見順*2が1945年9月30日に記した


生れてはじめての自由!……
自国の政府によって当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、――顧みて羞恥の感なきを得ない。日本を愛する者として、日本のために恥ずかしい。
戦いに負け占領軍が入って来たので、自由が束縛されたというのならわかるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう
という言葉を引用している(p.40)。
さて、戦争が終わっても「治安維持法」はまだ有効だったので、政治犯たちは獄中に囚われたままだった。1945年9月に哲学者の三木清*3が獄死したことを契機として、GHQは10月4日に「自由の指令」を出し、治安維持法などの廃止を日本政府に命令した(pp.40-41)。
樋口氏は、この指令によって刑務所から解放された日本共産党員、西沢隆二(ぬやま・ひろし)*4がその30年後に鶴見俊輔に語った言葉を引用している(p.41)。『戦時期日本の精神史』*5の孫引き;

「(前略)私はあのとき[占領軍の士官が迎えに来たとき]にこう答えるべきだったといまは思うのです。日本人がやがて私たちを自由にするまで私たちは獄中にとどまっているべきだ、というべきだったなと思います」。