「自由主義」/「社会主義」(橋爪大三郎)

現代思想はいま何を考えればよいのか

現代思想はいま何を考えればよいのか

橋爪大三郎社会主義を呑むこむ資本主義−−二十一世紀の筋書き−−」(in 『現代思想はいま何を考えればよいのか』*1、pp.83-119)からメモ。
先ずここで謂う「自由主義」は、落合仁司(『保守主義の社会理論』)のいう「保守主義」とほぼ同義であるという。「社会における慣習的なものの働きに最大の信頼をおく思想・態度」(p.84)。


社会主義:実現すべき状態(目標)を達成するために現状に介入して、積極的に資源の移転をはかるような、政策。
自由主義:実現すべき状態(目標)を達成するために、現状に介入するかわりに、もっpらら各人の努力(現状の社会メカニズムの作動)に頼ろうとするような、政策。(pp.84-85)

(前略)社会主義自由主義の選択は、現状認識や価値観(目標)の違いではなくて、どのように目標を実現するかという、方法論の違いである。
社会主義の発想を、「目的」と「手段」の関係として、整理してみる。
社会主義は、「目的は手段を正当化する」という考え方に近い。社会主義に言わせると、現状は明らかに間違っている。不正義の極み、と言ってもよい。これを放置することは、断じて正しくない。だからすぐにでも、現状を改革しなければならないわけだが、そのためには、一部の人びとが不利益をこうむるとしてもやむをえない。そういう人びとは、もともと不正義な現状から利益をえてきた人びとだから、かまわないのである。
このように社会主義は、結果としての正義(あるいは、理論的な正義)をまっ先に追求するものだと言える。弱者を救済するためなら、ほかの誰かが犠牲になってもやむをえない。現状を改めるには、誰かから、これまで享受してきた権利(既得権)を奪わなければならない。それも一種の不正義であろうが、それには目をつぶるのである。
(略)自由主義は、現在の社会のメカニズムにむしろ信頼を寄せる。自由主義に言わせると、社会の現状は間違っているかもしれないが、それを強引にいじるのはよくない。そういうことをすれば、誰かの権利を侵害せざるをえず、不正義を犯さないわけにはいかないだろう。そのこと自体があらたな問題をうみ、解決は遠のいてしまう。それより、時間がかかるかもしれないが、直接の介入を控えて当人たちの努力にまかせておくほうが、無理のない自然なかたちで、目標とする社会状態に到達できるだろう。
このように自由主義は、結果ばかりでなく、そこに至る過程にも正義が守られることを要求する。いわば方法的な正義に重点をおくものだ。(pp.87-88)