- 作者: 田中浩
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2016/02/20
- メディア: 新書
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田中浩『ホッブズ』から。
「マグナ・カルタ」*1以来のイングランド封建制における「「国王大権」と「制限・混合王政論」の調和」の実践は立憲主義の源流と言っていいが、それは「社会契約論」のような「主権」論としての「民主」とは別箇の系譜をなしているわけだ。
「社会契約論」はホッブズ、ロック、ルソーなどの近代の代表的政治思想家たちが唱えたものと考えられがちであるが、実はこの考え方は、早くもギリシア時代末期のエピクロスの政治思想にみられる。ローマ共和国末期のキケロ―から中世のルクレティウスを経て「ルネサンス期」に受け継がれ、一七世紀に入ってガッサンディによって再生された。そして「社会契約論」が「人民主権論」として近代民主主義の政治原理にまで昇華されたのは、ホッブスによってである。
ホッブ図がそのことを可能にしたのは、かれが近代史上初の市民革命(ピューリタン革命)に遭遇したからである。すなわちホッブズがイングランド伝統の「国王大権」と「制限・混合王政論」の調和という「二重権力論」――この理論すら、大陸諸国の絶対君主による統治という政治思想にくらべるとはるかに民主的であったが――を止揚して、「人民の同意による権力」を形成して国家の安定をはかり、人民の自由と生命の安全を保障するためにはどうすればよいかを考えるなかで、「社会契約」による「人民主権論」へと到達したのである。
「社会契約論」は一六-一七世紀前半、ヨーロッパでは盛んに唱えられていた。しかしイングランドでは中世以来「国王大権論」や「制限・混合王政論」が主要な政治思想であったから、「社会契約論」は一七世紀に入って国王と議会の対立が激化し、「だれが主権者か」をめぐる最終的な権力争いが激化するまではほとんど問題にされていなかった。(後略)(pp.72-73)