李朝起源(メモ)

http://www.chosunonline.com/news/20091004000002


朝鮮日報』(日本語版)の記事。
元と高麗との関係についてのボルジギダイ・エルデニ・バタル中国内蒙古大学教授(「チンギス・ハンの弟、ジョチ・カサルの子孫」)の所説。少しメモ;


 バタル教授は「モンゴルと高麗の戦争期間には略奪があったが、フビライ・ハンが即位して以降、元は高麗で略奪は行わなかった」と主張した。元と王室同士の婚姻関係を結び、娘婿となった高麗国王はモンゴルのどの貴族よりも高い待遇を受け、元は高麗に飢饉(ききん)や自然災害が起きるたびに大量の食糧を提供するなど、経済的支援を惜しまなかったという。高麗が「パックス・モンゴリカ」体制(モンゴル帝国の覇権による平和安定体制)で唯一国号を維持し、独自の租税権、徴兵権を持っていたことについて、バタル教授は「高麗が先に元に婚姻関係を求め、それを実現させたものであり、高麗の外交的勝利だ」と評した。

 1392年に朝鮮を建国した李成桂は、何代かかけて成長した高麗系モンゴル軍閥の出身で、元の直轄統治機構である双城総管府でほぼ100年間にわたりモンゴルの官職を務め、勢力を伸ばしたために、朝鮮を建国することができた、とバタル教授は主張する。バタル教授は李成桂の家系が直系4代の祖までモンゴル名を持っており、李成桂自身もモンゴル名があったと推定している。李成桂の家系は元滅亡後に高麗北東部の大半を統治するようになり、元の支配で軍事力を弱めた高麗王室を倒し、朝鮮を建国することができたとの説明だ。