ミヒロ?

承前*1

http://bund.jp/modules/wordpress/?p=3101に「在特会三鷹侵略の図あり。その中の一葉には「三广市」と標記されたプラカードが映し出されている。これを見て、一瞬ミヒロシって何だ? と思ってしまった。「广」は「廣」の簡体字国士様には、お前の認知自体が反日的だと糾弾されてしまうのだろうか。
「鷹」を略して「广」というのは初めて見たのだが、日中間での略字のズレというのはよくあること。日本では歴史の歴をと略すことがよくあるが、これは中国では廠の簡体字。また、これはどれだけ広く行われているのかわからないのだが、私の年配の知人に経済の経のいとへんを略してと書く人がいるのだが、これは聖の簡体字


さて、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091006/1254857703へのコメントで、


スタティックな「階層」というより、動的な階層移動(没落)の問題があるのでは。「権利」と「特権」の取り違えは、典型的なイデオロギー的すりかえの手口。没落の歴史的・社会的「原因」をこそ批判すべきなのに。
http://b.hatena.ne.jp/matsuiism/20091007#bookmark-16557198
そもそも「階層」というのは或る全体の中での個人や家族の相対的な位置づけにすぎないので、「スタティック」ではあり得ず、原理的には株式市場や為替市場のように常にころころと変動しうるものです。また、「階層」それ自体は「没落」も勃興もせず、没落したり勃興したりするのは個人や家族だということになります。そこが身分や階級と違うところであり、さらに言えば、身分や階級のように「階層」は社会変動のエージェントとはなり得ない所以です。