『一語の辞典 自然』

自然 (一語の辞典)

自然 (一語の辞典)

伊東俊太郎『一語の辞典 自然』(三省堂、1999)を数日前に読了。


はじめに
ギリシアにおける「自然」
アラビアにおける「自然」
ヨーロッパにおける「自然」
中国における「自然」
日本における「自然」
おわりに



あとがき
索引

日本語の「自然」に対応する言葉の歴史について纏めたコンパクトな本。
少し抜き書きしてみる。

ギリシア語の「ピュシス*1」という名詞は「ピュオー」(phyo)という動詞(以下動詞は第一人称単数形を以って示す)に由来しており、その語根のphy-と、抽象名詞をつくる語尾である-sisとが結びついて造られている。ところで「ピュオー」という動詞はこの能動形において「生む」「生み出す」「生やす」「生長させる」を意味し、その受動相および中動相の「ピュオマイ」(phyomai)は「生まれる」「生み出される」「生える」「生成する」、さらに「生成して、かくかくの状態にある」を意味する。(p.10)

要するにギリシアにおける「自然」は基本的に「誕生」「生長」「生成」を根本義としており、それはおのずと生まれ、生長し、衰え、亡んでゆくものを意味する。それがアリストテレスの「自分自身のうちに運動の原理をもつもの」という表現に収斂してゆくのである。この「運動」(キネーシス)というのは、近代のように単に「位置」の移動だけではなく、「実体」の生成・消滅や「質」の生成・変化、「量」の増大・減少などを含む広い意味のもので、自分自身で内在的・自律的に生長・発展する生命の原理を根柢とするものであった。すなわち古代ギリシアにおいては、デカルト以後の死せる自然――他から力が加えられてはじめて、因果的・機械論的に運動・変化が惹起される他律的な自然ではなく、内に生成・発展の原理をもった生命的自然こそ「自然」の原型であった。(pp.15-16)

このようなギリシアにおける「自然」はなんら人間に対立するものではなく、人間はそのような生命的自然の一部に包み込まれていた。神ですら「自然」を超越するのではなく、それに内在的である。(p.16)

結局、ギリシアにおける「自然」は、神や人間をもそのうちに包み込んだ一つの生ける統一体であったと言ってよいであろう。すべてが「ピュシス」に包まれているという意味で、筆者はこれを「パンピュシシズム」と名付ける。この包括的な全体的自然のなかに、すべてが「生まれを同じくするもの」として包み込まれていたのである。こうした「自然」の性格は、その後のヘレニズム時代の哲学――特にストア哲学においても共通して言えることである。(p.18)
ギリシア語で「自然」を意味する「ピュシス」に相当するアラビア語は「タビーア」(tabi’a)」(p.19);

この「タビーア」というアラビア語は、「タバア」(taba’a)という動詞に由来し、この動詞は元々、或るものの上に「印を押す」「捺印する」「封印する」「刻印する」ことを意味する。これと同系の言葉(tab’)は『コーラン』では良い意味をもっておらず、被造物は創造主である神から隔てられて分離されていることを含意していた。(p.20)

恐らく創造主たる神が「印をつける」ということが、そこにものが生じること、ものがはじめてその存在を獲得することを意味していたと考えられる。従って「生じる」といっても「ピュシス」のように、自ずと生ずるのではなく、いわば神によって在らしめられるということになる。ここにギリシアにはなかった「創造」の問題が新たに立ち現われて来る。(pp.20-21)

「タビーア」は当初は消極的な、運動性をもたないものであったが、ギリシアの「ピュシス」の訳語とされることによって「それ自身のなかに運動の原理をもつもの」として能動性をもち、みずから運動するものとなった。ここにいう運動とは、いわゆるアリストテレスの言うところの「可能態」(dynamis)から「現実態」(energeia)への移行である。(p.21)

ユダヤキリスト教世界に入ると、こうした「パンピュシシズム」の神・人間・自然の一体性は崩壊する。そこでは、世界の創造者と被造物は明確に切断・分離され、神−人間−自然のはっきりとした階層的異質的秩序が出現してくるのである。そこでは自然も人間も神によって創造されたものであり、神はこれらのものから全く超越している。そしてこの三者はいずれも独自の役割をもちながらも、その上位のもののために存在するものとなる。人間は神のために存在し、自然は人間のために存在する。(略)
ここで注目すべきことは、(略)「パンピュシシズム」が破れ、中世キリスト教的世界の神・人間・自然の階層的分裂が生ずることによって、神は全くの超越者として自然に内在することはなくなり、人間も自然の一部ではなくなったということである。自然も人間と同じく神によって創造されたものとして、今や人間の全くあずかり知らぬ「外なるもの」となる。人間は自然と同質なものではなく、それから疎外される――というよりも自然を超え出て、その上に臨み、それを支配するものとなる。ここに、自然を人間と全く独立無縁なものとして客体化し、これに外から実験的操作を加えて科学的に把握しようとする、近代の実証主義的態度の形而上学的源泉が看てとれる。(pp.29-30)
ここで伊東氏はベルジャーエフの『歴史の意味』を参照している(pp.30-31)。しかし、「自然」のこのような変質が本格化するのは、「中世キリスト教的世界」ではなく、近代の端緒たる宗教改革プロテスタント神学)においてであろう(Cf. Peter L. Berger The Sacred Canopy)。また、アレントの『人間の条件』における「世界疎外」の議論が再度参照されるべきだろう。
The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion

The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion

The Human Condition

The Human Condition


デカルトにおいて一切の「自然」を「延長」と化し、人間の本質を「思惟」の側にのみ集中させるのは(人間の身体は物体にほかならず、延長の一様態にほかならない)、キリスト教世界においていわゆる「パンピュシシズム」が崩壊し、神−人間−自然の階層的異質的秩序が出現したことと無縁ではない。そこでは神は世界の創造者としてすべてに超越し、人間は単に理性をもつものとなり、自然はこの人間とは独立に創造された第三者として、人間とは全く異なる秩序に属することになる。ここに人間(=思惟)と自然(=延長)の二元的対立が徹底され、両者をつなぐ生命の絆は断ち切られる。そして前者は専らその理性により、全くの能動性を欠いた後者を操作し、支配するものとなる。(p.35)

ベイコンにおける自然観は、デカルトの「機械論的自然観」とは異なる。またベイコンの自然は、デカルトにおけるように他律的な因果関係に支配される受身の「死せる自然」ではなく、「人間は作業のためにただ自然物を結びつけ、ひき離すだけであって、他のことは自然が自らのうちで為しとげるのである(Natura intus transigit)」(『ノヴム・オルガヌム』二−四)と言われているように、自然はその内に自律的活動性をもっている。さらにデカルト幾何学的に、いわば上から演繹的に自然を構成してゆくのに対し、ベイコンは下から帰納的に事実や実験を積み重ねながら一歩一歩自然を探究してゆく。ここに「自然誌」や「実験誌」がベイコンにとって極めて重要な役割を果たしてくる理由がある。(pp.44-45)
ベイコン的自然観の継承者としてのビュフォンとディドロ(pp.45-47)。

(前略)中国における「自然」という言葉の本来の意味は、「おのずからなる状態」をさし、「他者の作為や力によるのではなく、それ自身のうちにある働きによって、そうなること」を原義としている。ここでは、この「自然」の「自(おのずか)ら然(しか)る」自律性・自発性が何よりも注目される。しかしそれがこのような自律的・自発的・自足的状態を意味するとしても、今日いわゆる「ネイチュア」としての自然が意味するような森羅万象の対象的世界一般を指していたわけではない。当時の中国語でそれを意味する言葉は、むしろ「天地」や「万物」や「造化」であった。この場合「天地」は自然界全体を総括し、「万物」はそこにおけるさまざまな具体的事物全体、「造化」はそれらが変化していく力を表わすことに重点が置かれていたと言えよう。さもなければ、「鳥獣草木」(『論語』)、「山沢禽獣」(『荘子』)、「山海水潦土石」(『淮南子』)のような自然界の具象的な存在の名称を列記して、あえてそれを統合する名詞を造語していないと言える。(p.62)
日本語で「自然」が漢音で「しぜん」と読まれるようになるのは江戸時代以降。朱子学の影響(p.81)。

中国語の「自然」という漢字は、まず「オノヅカラ」と訓じられ、この意味で受け入れられた。それが「じねん」や「しぜん」と呉音や漢音で読まれた後も、大方この意味を保ち、形容詞・副詞として用いられた。それにしても日本人は伝統的にこの「おのずから」を好んだと思われる。仏教や儒教をとり入れるに当たっても、本家の中国のそれに較べて、「自然」(じねん)や「自然」(しぜん)はかなり重要な役割を果たしている。このことは特に親鸞や安藤昌益の場合について言える。前者が「自然」を「おのづからしからしむ」と訓み、後者が「ヒトリスル」と訓んだのは、かなり隔たりがあると見えるかも知れない。「ヒトリスル」は「自(おのずか)ら然(しか)る」より「自(みずか)ら然(しか)る」と訓むのに近いと言えようが、この「自(おのずか)ら」と「自(みずか)ら」はそれほど離れたものではないと思う。「自」は「自分」を意味するが、同時に「より、から」の訓があるように、ものごとの「はじまり」、「自発性の根源」を意味し、それが自分の側であれば「みづから」(身つから)となり、それを対象の側に移せば「おのづから」(己つから)になるのである。「おのづから」も「己つから」であり、対象の側に立って、その対象が「自分から」「己つから」ある事をなしとげてゆくことを意味するとすれば、それは対象の側の「みづから」(身つから)なのである。つまり行為者の立場に立って「自分から」の意味で「みづから」というか、対象の側に立って「おのづから」と言うかの違いであるにすぎず、両者の根本な意味は一致していると考えられる。「おのづから」というのは、「成り行きまかせ」ということではなく、対象の側に、ある種の積極的・主体的な働きがあると見なければならない。親鸞の場合は弥陀の誓いがこれである。昌益の場合「ヒトリスル」主体的な自然の働きも、我々がそれを観るなら、「自(おのずか)ら然(しか)る」のである。「自ら」が「みづから」とも「おのづから」とも読みうるのは、根本的にはこうした事態を反映していると考えるべきであろう。(pp.111-112)

我々が今日当たり前のように用いている「ネイチュア」の意味での「自然」、山川草木・森羅万象を意味する「自然」は、明治二〇年代にはじまり、三〇年代の初頭にようやく定着したと言ってよい。この間、日本伝来の「おのづから」としての「自然」と「ネイチュア」の訳語としての「自然」との間には、ある種の摩擦葛藤が生じ、意味の誤解や混乱をひき起こしたこともまれではなかった。(pp.112-113)
「自己組織系」(self-organizing system)における自然観――

プリゴジン(I. Prigogine)、アイゲン(M. Eigen)、ヴァレラ(F. Valera)、ヤンツ(E. Jantsch)、モラン(E. Morin)などが、こうした考え方を推進する人びとに属する。「共生進化論」のマーグリス(L. Margulis)や「ガイア仮説」のラブロック(J. Lovelock)もこの流れに入ると言ってよいであろう。そこに共通に見られることは、自然を自律的で自己形成的なものと把えることであり、そのためには機械論的要素主義を超えて、自然を総体的(ホリスティック)なシステムと考え、環境との密接な相互作用のもとで、自律的に自己を保存するのみならず、適当な条件のもとでは、新たな自己形成を遂げ、次第に発展してゆくもの、と把えていることである。宇宙の形成から生命の進化を経て人間の成立にいたるまで、さらには文化の形成をも含めて、自然を自己組織系の発展として捉える新たな世界観が生まれつつある。
それは従来の能動性をまったく欠いた他律的決定論的な機械論的自然観とは真っ向から対立するもので、生命を失った死せる自然――「時計モデル」の自然観を超え出る、有機的な「生命システム」をモデルとする自己形成的な自然観である。それというのも生命体こそ自己形成的なものであるからである。この意味では、人間や生物はおろか、宇宙も、地球も生きている。生きて生成発展している。(後略)(pp.118-119)

*1:physis