「生涯学習」(メモ)

苦悩する先進国の生涯学習

苦悩する先進国の生涯学習

実家に置いてある黒沢惟昭、佐久間孝正編『苦悩する先進国の生涯学習』(社会評論社、1996)を少し読む。
黒沢惟昭「現代日本生涯学習市民社会」(pp.9-54)によると、「生涯学習」という言葉が使われるようになったきっかけは、1986年の「臨時教育審議会」「第二次答申」。そこで、国家の「基本的教育政策」としての「生涯学習体系への移行」が提唱された。それを承けて、1988年7月に文部省「社会教育局」が「生涯学習局」に変更され、都道府県レヴェルでも「社会教育」課が「生涯学習」課や「生涯教育」課に変更された。さらに、1990年6月に「生涯学習のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が成立した(p.9)。また、黒沢氏は、「生涯学習」という言葉の氾濫が「社会教育」という用語の消失を伴っていることに注意を喚起している(p.10)。ただ、「生涯教育」という言葉はそれ以前から使われており、その起源は、1965年に巴里で開催された「ユネスコの第三回成人教育委員会」におけるポール・ラングランの「生涯教育について」という報告で使われたeducation permananteが英語ではlife-long education、日本語では「生涯教育」と訳されたことに起源を持つ(pp.20-21)。
さて、黒沢氏は、臨教審的な「生涯学習」論について、


(前略)わが国における市民社会の一定の「成熟化」に伴う「画一性の嫌悪、差異化傾向−−総じて「自由の希求」「自発性」の増大という市民社会の事実を基に、「教育」を「学習」に、しかも「生涯学習」に変えて、国家の意志(政策)に包摂しようとしたのであった。そのためのヘゲモニーの強力な媒体として用いられた概念こそが「生涯学習」であった。(p.41)
という。また、「近年の教育状況を勘案すれば、臨教審答申の意図した方向に、つまり生涯学習社会への基本的な転換が進みつつある」という(p.42)。そして、それは「市民社会の成熟化に伴うわが国に伝統的な「学校偏重社会」の解体の面からいえば、慶賀すべきことかもしれない」(ibid.)。その上で、「学習能力のある者、「受益者負担」能力のある者はその自由をそれなりに享受できる」のに対して、「それ以外の人々、とりわけ社会的に「弱者」と見なされる人々は端的に「切り捨て」られる」こと(ibid.)が問題であるとされている。
ところで、黒沢氏の冷戦崩壊前後、バブル前後の時点での現状認識には、現在の時点と比較すると興味深いだろうと思うものが少なからずある。例えば、

まず、「高学歴化社会」である。ここにおいて指摘されるべきは、教育がなにかの手段ではなく、それ自体が目的化するのである。学校教育は別として、市民がなにかを学ぶということは、なにかの手段−−自分の職業のために、子どものために等々−−ではなくてそれ自体が楽しいから学ぶ、そういう市民が急速に増えているという事実である。いいかえれば、教わるのではなく、自分から積極的に学びたい人々がどんどん増えているのである。この状況下では、「教え・育てる」という意味が強い「教育」よりも、自発的に学んで習う謂の「学習」という言葉の方が自分たちの意識にぴったりするという考え方がこうした市民の中に広がっていくのも納得できるであろう。このような状況が拡大してはじめて、「生涯教育」から「生涯学習」への言葉の転移が可能になったのであり、(略)文部省の「社会教育局」から「生涯学習局」への名称の変更も以上のような市民社会の状況の反映と見ることができる。(p.34)
また、1989年の「新学習指導要領」中学「道徳」の「第一の柱」は「自分自身に関すること」。「新学習指導要領」から引用すると、

(1)望ましい生活習慣を身に付け、心身の健康の増進を図り、節度と調和のある生活をするようにする。(2)より高い目標を目指し、希望と勇気をもって着実にやり抜く強い意志をもつようにする。(3)自律の精神を重んじて、自主的に考え、誠実に実行してその結果に責任をもつようにする。(4)真理を愛し、真実を求め、理想の実現を目指して自己の人生を切り開いていくようにする。(5)自らを振り返り自己の向上を図るとともに、個性を伸ばして充実した行き方を求めるようにする。(p.40から孫引き)
これに対しては、「道徳の第一の柱は、家でも国でもなく、まずもって「自分自身」であり、強い身体と意志と自律の精神で自己の人生を切り拓いていけ! というのが眼目である」とコメントされている(ibid.)。
「生涯教育」にしても「臨教審」にしても、所謂新自由主義と平仄を合わせているのは間違いないだろう*1。しかしながら、最近の風潮には、冷戦終結以前、バブル以前に退行しているんじゃないかと思われるところも多々ある。新自由主義はさらにその左側へ超えなければいけないのに、その右側へ超えようとするのが多いということか*2

佐久間孝正「多民族国家イギリスの「苦悩」と生涯教育」(pp.55-84)は、英国における「エスニシティ問題」を、「古いエスニシティ問題」(スコットランドウェールズアイルランド問題)と「新しいエスニシティ問題」(印度・パキスタン系住民の問題)に区分しているのが興味深い。

*1:とはいっても、この論攷に「新自由主義」という言葉は使われていないが。

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090303/1236060278 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090306/1236305383