http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20091018/1255874193
この中で、「C・ギアツ(Clifford Geertz)*1のように,原初主義に与する研究者もいないわけではない」と書かれているのだが、そこに小田亮氏の議論を挿入しておく;
(前略)エスニシティの「原初的アプローチ」の先駆者として挙げられることの多いクリフォード・ギアツの「統合的革命――新興国における本源的感情と市民政治」という論文は、ナショナリティやエスニシティなどが原初的だと言っているのではもちろんなく、アジア・アフリカの新興国にみられるように、新しく創り出されたネーションが人々の原初的紐帯の受け皿になりえないから、新たに地域主義や部族主義が台頭してきているのだと言っていたにすぎない(略)ギアーツのいう原初的紐帯は、地縁や血縁、宗教や言語や慣習の共有から生じる一体感を指しているが、そのとき、共有されている宗教や言語や慣習は、ホブズボウムが「本来の伝統」と呼んでいたものであろう。そして、そのような地縁や血縁を基盤にした一体感は、ナショナリティやエスニシティのように、一度も会ったこともなく今後も会わないであろう人々と自己を結びつけるのに、明瞭な境界をもつ全体と個人とを無媒介に結びつけるという「想像」の仕方をとるのではなく、アンダーソンが国民国家以前の想像の共同体について述べているように、親族関係や主従関係の連鎖をたどった先にぼんやりと拡がっているネットワークとして想像されていた。(「翻訳としての文化――カニバリズム・文化相対主義・オリエンタリズム」in 『理性と暴力』、pp.133-134)
(前略)ナショナリティにしろエスニシティにしろ、そこでは、個人はいきなり明確に境界づけられた全体と結びつけられるが、ギアーツのいう原初的紐帯は、人と人の現実の社会的関係をたどるネットワークの延長として想像されるものであり、ネットワークの性質上、明確な境界も排他性ももちえない。事実、アフリカなどで見られるネットワークの実際の作り方は、生活の必要に合わせて、異なる民族集団の成員も引き込む形で作られるのが普通である。言い換えれば、共同体は、個人の都合によって、伸縮する弾性をもっているのであり、むしろ、近代において創られたナショナリティやエスニシティや伝統のほうが、そのような弾性を失っているのである。(p.134)
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「エトニ」と「ネイション」の関係についてのhttp://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090426/1240723020はとても勉強になった。