嫌われたものだぜ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080717/1216283129


ぼくは特に音楽ファンというわけではないが、それでも人並みには聞く。10年前は普通にCDを買っていた。それが、今では最後に買ったのがいつだったか思い出せないくらい、CDからは縁遠い生活を送っている。特に新譜に関しては、おそらく21世紀に入ってからは1枚も買ってないはずだ。最近CDは本当に売れなくなったらしいが、それはぼくの生活からも実感できる。


ところで、「なぜCDは売れなくなったのか?」ということについてぼくが真っ先に思うのは、それは「CDを買うことが格好悪く見えるようになったから」というものだ。CDを買うことが、なんかダサく見える。CDを買う人を見ると、なんだか居たたまれない気持ちになる。「時代遅れ」というのではなく、「時代を読めてない人」というふうに見えてしまう。


なんでそういうふうに見えてしまうかというと、個人的にはあのシュリンクとプラスチックケースとキラキラしたCD本体の三点セットがなんとも格好悪い。ブサイクだしダサい。数年前まではそうでもなかったのだが、最近とみにそう思うようになってきた。


とにかくぼくはCDが嫌い。嫌いになってしまった。だから、今ではそんなものにお金を出そうなどとはつゆほども思わないし、そればかりでなく、それにお金を払っている人を見るのもなんか嫌だ。そういう人を見ると、「ああ、あの人は、またあの将来的には嫌な感じのゴミになる代物にあんなにお金を払うなんて、なんとみっともない、なんと情けないことよ」と、本当に居たたまれない気持ちになるのだ。

昔、CDが出回った当初、それは人々から大きな反発を受けた。反発の理由は主に二つあって、一つは音が薄っぺらいというもの、もう一つはジャケットに魅力がないというものだった。

このうち後者に関しては、ケースが小さくなったことで、それまでのレコード文化が営々として築いてきたジャケットデザインというものの伝統を、そこでぷっつり途切れさせることになったというのがある。また紙ジャケットからプラスチックケースになったことで、プロダクトとしての魅力も大きく損なわれた。CDは、プロダクトとして初めから美しくなかったのだ。

それでも結局、CDの便利さは革新的だったので、すぐにレコードに取って代わった。但し、美しさの問題は置き去りにされたままで。

私は「時代を読めてない人」で、「みっともな」くて、「情けない」人なのか。
ところで、サイズが小さくなることによって、かつて北山修が『人形遊び』で指摘した〈抱きしめられる〉ことは喪失したかもしれないが、CDが「プロダクトとして初めから美しくなかったのだ」とは思わない。だったら、ジャケ買いなんかするか。
人形遊び―複製人形論序説 (1981年) (中公文庫)

人形遊び―複製人形論序説 (1981年) (中公文庫)

ところで、

現在においてもアナログレコードがしぶとく生き残っているのは、DJカルチャーの影響が非常に大きい。機材の問題(パイオニアからCDJ-50が出たのが確か1995年。CDJでスクラッチまでできるようになったのってつい5年くらい前の話)と、“アーカイブの参照”というDJカルチャーの特性によって、アナログレコードはDJカルチャーとの蜜月関係をほぼ独占することができた。

アナログレコードという“古いメディア”は、DJカルチャーという“新しい文化”と出会うことで長らく延命してきたわけだけど、CDと同じく音源のデジタルデータ化と機材・ソフトウェアの発達によって多くのDJがアナログレコードを捨ててデジタルデータに走っている現在では、その延命もほとんど限界に来てしまっている。アナログレコードの売れ行き低下はCD以上に深刻だ(宇田川町の惨状を見よ)。だから、“DJカルチャー”という下駄を脱ぎ捨ててしまったアナログレコードも、CDと同じく“価値が際限なく下落”してるってのが正しい現状認識なんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080717/p1

というのは初めて知る。そうなんだ。

See also http://seiichi-fujimoto.seesaa.net/article/102333429.html