文字と神話(カレン族)から

承前*1

飯島茂「いま、なぜ「民族」と「国家」なのか――草の根の視座に立って――」(in 飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』アカデミア出版会、1993)に、カレン族における文字の神話が言及されている。


たとえば、カレン族は、東南アジア大陸部に住む他の多くの山地民と同様に、伝統的には文字を持っていなかったが、かつては文字を持ち、「黄金の本」さえもあったという伝承が伝えられている。カレン族の場合は、三人兄弟がそれぞれ一冊ずつ「黄金の本」を持っていたけれど、二冊は白アリに食べられたが、残りの一冊は、「白い兄弟の一人」が海の向こうに持って行ってしまったと信じていたという。(p.25)
この神話を巧妙に利用したのが、米国のバプティスト派の宣教師たちであった。バプティスト派のビルマ世界へのミッションは19世紀初頭に開始されたが、次第にビルマ族やシャン族のような佛教化が進んだ民族ではなく、カレン族のような佛教化があまり進んでいない民族をターゲットとするようになった(pp.24-25)。

この「白い人」たちは、カレン族の家内奴隷を買い取り、召使いにし、英語を教え、教育を授け、洗礼を受けさせる。その間、かれに、聖書こそがかつて「白い兄弟」が海の向こうへ持ち去った「黄金の本」であると教え込んだ。そのうえで、このカレンの召使いをカレン・ヒルへ送り、「黄金の本」がこの地に復活したとカレン族たちに伝えさせた。(pp.25-26)
これが今に続くカレン族ビルマ族の対立の淵源である。
さて、たしか大林太良先生の『神話学入門』だったと思うが、やはり東南亜細亜の民族の自らが文字を持っていないことを正当化する神話で、昔お釈迦様が世界の各民族に文字を賜ることになり、決まった日にお釈迦様の許に文字を受け取りにいくことになったが、隣の民族に騙されて、受取に行く日を間違えてしまったので、文字がないのだという話を読んだことがある。それを読んだときに、子どもの頃に大人たちが語っていた干支の話と構造が同じだなと思った。それは何故鼠年はあるのに猫年はないのかというもの。昔お釈迦様が世界の各動物に干支を与えることになって、お釈迦様の許に受け取りに行かなければならなかった。しかし、鼠が猫に嘘の日付を教えたので、猫は干支を受け取ることができなかった。それ以来、猫と鼠は敵対している。因みに、鼠は牛の背中に乗って、到着寸前に牛から飛び降りて、お釈迦様の許に走り寄ったので、十二支の最初は鼠年である。大人になってから、こういう話を他人にしたこともないし、他人からこういう話を聞いたこともないので、これは私の周囲にいた大人が勝手に捏造した話なのか、それとも広く伝承されている話なのかは知らない。勿論、その出典もわからない。
神話学入門 (中公新書 96)

神話学入門 (中公新書 96)

なお、文字と呪術に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070411/1176269481http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070626/1182850626にて言及した。