小島毅『靖国史観』

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

小島毅氏の『靖国史観』を読了したのは既に1か月くらい前。


はじめに


第一章 国体
第二章 英霊
第三章 維新


おわりに
あとがき
参考文献一覧

本書の主張は「はじめに」で述べられた

靖国神社の思想的根拠は(神道というよりは)儒教にある」。これが私の学説である。そして、靖国神社が国際問題として扱われることを憂慮し、そもそもの起源においてそれが国内問題であったことを、いまあらためて声を大にして訴えていくこと。それが現代日本に生きる儒教思想研究者としての使命であると、近年強く感じるようになった。(p.9)
ということに要約されるのであろう。また、高橋哲哉氏の『靖国問題』に言及して、

高橋氏の議論は――そして、同様にほとんどの靖国関連本が――「このあいだの戦争」、人によって十五年戦争日中戦争・太平洋戦争・大東亜戦争と名称を異にして呼ばれている、あの戦争をもっぱら扱っている。たしかに靖国に祭られている「英霊」のほとんどは、「あの戦争」での戦死者・処刑者だ。しかし、靖国神社の歴史は「あの戦争」で始まったわけではない。問題の本質を見失わないためには、「哲学」だけでなく、「歴史」への目が必要なのである。(p.10)
と述べ、(昭和ではなく)幕末・維新期へと目を向け、さらには南北朝時代(吉野朝時代*1)へと遡る。具体的には、「国体」、「英霊」、「維新」という〈靖国問題〉の鍵言葉を、その起源たる後期水戸学、さらにはそれが前提とする朱子学へと遡って考証するということになる。さらに、その考証を踏まえた著者の主張は、〈明治維新〉と呼ばれている一連の歴史的過程の正当性/正統性を問うものとなる。少々長いが、「おわりに」から引用してみる;

いわゆるA級戦犯問題は、私にとってはどうでもよいことである。彼らが『礼記』にいう「死を以て事に勤めた」人だと本当に思うなら、英霊として堂々と祭ればよいのだ。その判断は神社自身が行なえばよいことで、やれ「分祀すべきだ」とか「合祀されている以上、政府関係者は参拝するな」というのは、ある意味では大きなお世話である。この案件は靖国問題の本質でもなんでもない。アジア・太平洋戦争――靖国神社が「満州事変」から「大東亜戦争」として分けて呼んでいる戦争行為全体――にまつわる英霊は、量的には靖国の英霊の圧倒的多数を占めているが、質的には決して重要ではない。靖国神社は勤王の志士たちを顕彰・慰撫するために創建されたのだ。そこにこそ靖国の本質がある。
新撰組組長だった近藤勇東京裁判よりもひどい一方的な断罪で復讐刑的に斬首し、会津で交戦した白虎隊をふくむ軍人たちのまともな埋葬すら許さぬままに、敵の本営だった江戸城中で仲間の戦死者の慰霊祭を行った連中。靖国を創建させたのはこういう人たちであった。
その勝者である薩摩藩長州藩の系譜を引く平成の御代の首相たちが、近隣諸国の批判をよそに参拝するのは彼らの勝手だが、私は中国や韓国が批判するからではなく、一人の日本国民として個人的感情・怨念からこの施設への「参拝」はできない。(略)ある人たちが「東京裁判」を認めないのと同様に、慶喜追討を決めた小御所会議の正統性を認めないからである。
靖国神社は、徳川政権に対する反体制テロリストたちを祭るために始まった施設なのだ。彼らに比べれば東条英機のほうが人格的にはずっと高潔で立派である。(ああ、これでまた敵を増やした。暗い夜道を一人で歩けなくなる……。)
靖国問題が国際問題でなく国内問題だと私が主張するのはそういうわけである。戊辰戦争以来の未解決の歴史問題が、ここにはある。
長州藩京都御所に向かって発砲したことを謝罪したか?
薩摩藩は江戸市中に放火したことを謝罪したか?
テロとの闘いを標榜する平成の首相たちは、吉田松陰を頌える前に、東京の板橋駅前にある近藤勇の鎮魂碑の前で頭を垂れるべきだろう。彼はテロリストを取り締まった特殊警察部隊の司令官だったのだ。
(略)
禽獣と異なって人間の人間たる所以はいろいろあるが、他者の視点で物事を考えられることも、その一つであろう。「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」。儒教の教祖様もこうおっしゃっている。独善的な歴史の見方を相対化してみること。それがまだ記憶に新しい(?)六十年前の「敗戦」については感情的に困難だというのであれば、百四十年前の「勝利」について反省してみてはどうか。東京裁判を批判する資格が、あなた自身にはあるだろうか?(pp.196-198)
さて、本書が突きつける問題としては(著者は意識されているのかどうかわからないが)もう1つある。それはナショナリズムの問題である。本書では、「国体」については語られるが、「ナショナリズム」についてはなかなか語られない。「ナショナリズム」が登場するのはやっと末尾に近いp.183である。そこでは、「ナショナリズム」的なものは「国学」を経由して水戸学に入ってきたとされる。また、「「日本」とは、北はどこそこから南はどこそこまでという空間領域のことではなく、ある王家のことにすぎない」(p.191)といわれる。さらに、

(略)靖国神社という装置もまた、王家のために設けられながら「日本」を表看板としている。天皇のために戦った軍人たち――正確にいえば、天皇の意向であると自称する勢力に殉じた人たち――が、日本国のための尊い犠牲であると論理的にすり替えられ、その行為を顕彰する目的で創建されたのが、この神社なのだ。
神武創業の昔に戻すべく奮闘落命した十九世紀の志士たちは、「維新」の功労者として「英霊」とされた。そこでは薩摩・長州・土佐といった(江戸時代的感性からいえば)「国籍」は不問に付された。
討幕派諸藩だけではない。佐幕派会津藩出身者であろうとも、西南戦争日清戦争天皇のために戦えば英霊になれた。彼らもまた「日本人」だからだ。
その後、「日本人」はさらに拡大する。琉球・台湾や朝鮮半島で生まれ育った、エスニック的にはヤマトに属さない人々も、ロシアや中国・アメリカ相手に戦死すれば立派な英霊である。天皇の錦の御旗のもとに集う者はすべて「日本人」なのだ。
だが、ヤマトに生まれ育っても、「維新」という御大業に逆らった者たちのように、天皇に反抗した連中は英霊になれない。(pp.192-193)
と。ここで重要なのは、「水戸学は「日本」の歴史を天皇中心に描くことによって、ナショナルな意識の中心として、現行憲法の表現を借用して言うならば、天皇を「日本および日本国民統合の象徴として」活用したのである」(p.192)と言われていることだ。そういえば、日本国憲法には「国民」を定義する箇所がほかにはなく、憲法の規定に従えば、「日本国民」とは天皇という「象徴」によって「統合」される人々ということになる。ここから、私は天皇を抜きにしたナショナリズムの可能性の問題、天皇を抜きにして「日本人」や「日本国民」を定義することができるのかという問題を突きつけられることになる。
しかしながら、「国学」を通して「ナショナリズム」が水戸学に導入されたという、初期水戸学と後期水戸学の断絶にも関わる問題の考証は薄く、本書のいちばんの弱点となっているといってもよい。徳川光圀国学の祖とされる契沖法師の「パトロン」であるという超間接的な証拠しか挙げられていない(p.187)。
靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

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