辺境など(補足)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091205/1260031366にコメントをいただく;


PledgeCrew*1 2009/12/07 02:40
イーグルトンに「聖人と学者の国」という小説がありますね(筋は忘れました)。
キリスト教が布教されたのは、たしかブリテンよりアイルランドの方が先ですね。ローマ滅亡後の再布教も、アイルランドが拠点になっています。その意味では歴史は古いですね。
内田さんが言ってるのは、たぶんケルトの民話とかのことなんでょう。
しかし、彼の「辺境」云々というのは、むしろ「小日本主義」を広めるためのレトリックのような気がします。「日本辺境論」は読んでないのであてずっぽうですが。

osaan 2009/12/07 11:03
昔、朝日ジャーナルの巻頭のエッセイで、
韓国女性と結婚したアメリカ人のところを訪ねると、凄まじい夫婦喧嘩の真っ最中、
来客があっても妻は夫を罵るのやめず、こらえかねた夫が口にした台詞が
「お、お前らはアジアのアイルランド人だ!」とうものだった、というエピソードが書かれていました。
読んだ時はピンと来なかったんですが、これで少しわかったように思います。

昔まだIRAが元気に倫敦で爆弾を破裂させていた頃、知人と、日本が大東亜戦争で負けてほんとうによかったねという話をしていて、そのときに、もし日本が戦争に勝っていたら今頃朝鮮半島アイルランドみたいになっていたよねという話が出たことがあった。
内田さんの文章のことを「ちょっとというか、かなりアレ」といったのは、アイルランド或いはアイルランドアイデンティティは(少なくとも近世、エリザベス1世時代以降[Cf. 村岡健次、川北稔編『イギリス近代史−−宗教改革から現代まで−−』*2])イングランド或いは倫敦の王権との交渉を通じて構成されてきたと考えられるのに、それをスルーして、いきなり北米大陸に飛んで、さらにアイルランドと日本を結びつけるという語り口であったから。先ずUK或いはイングランドとの関係を考えれば、アイルランドと日本を無邪気に結びつけるということにはならなかったのではないだろうか。勿論、そのような連合を提示することによって、日本人の被害者根性を刺戟することは、排外主義的な劣情を刺戟することに繋がるという政治的な危険性を感じ取ったということもある。ところで、UKを軸にして考えると、ビートルズ憂歌団とはポジショニングが近くなるんだな。ここで、アイルランド人自身による歴史的省察として、オフェイロンの『アイルランド―歴史と風土』を、そして、(最近丸谷才一先生の新訳が出たらしい)ジョイスの『若き藝術家の肖像』をマークしておく。それから、ジョナサン・スウィフトの「貧家の子女がその両親並びに祖国にとって重荷となることを防止し、且社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」も。
イギリス近代史―宗教改革から現代まで

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アイルランド―歴史と風土 (岩波文庫)

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若い芸術家の肖像 (講談社文庫)

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奴婢訓 (岩波文庫)

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そういえば、最近BBCのドキュメンタリーCeltsが中国で放映されていて、それを視ていたということはある。たしかに、羅馬帝国以前においてヨーロッパを席捲していたケルト*3が現在ではアイルランドスコットランド、それからブルターニュウェールズに限定されてしまっているという意味では、「ローマ帝国によるヨーロッパの「開化」とキリスト教化によって周辺に押し出された「原ヨーロッパ文化」の残滓が流れ流れて最終的にアイルランドには蓄積されているような気がする」というのは正しいような気がする*4。但し、古代において「ヨーロッパ」という想像の共同体は存在していなかったけれど。ただ、〈辺境〉としてのアイルランドケルトのイメージは、イングランドによる侵略が進む中で、オリエンタリズム的に構成されていった可能性が高い。ちょうど同じ頃に、野蛮でエクゾティックな辺境としての東欧が構成されたように(例えば、ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』とか)。
The Celts 幻の民 ケルト人 [DVD]

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吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)

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〈辺境〉を巡って。凡庸なことを書くけれど、〈辺境〉には2つの意味があるだろう。先ずは中心(倫敦や北京や東京など)との距離によって定義される。つまり中心から遠い場所*5。また、辺境は境界でもある。或る世界の辺境は同時に別の世界の辺境でもある。例えば、中華世界の〈辺境〉である雲南は同時にチベット文明や(ビルマを介して)印度文明との境界をなしている。この意味での辺境は、(中心にとっては)軍事的・政治的に危険である以前に、自同律を揺るがすという意味で、意味論的・象徴論的に危険な存在だということになる(cf. eg. リーチ『文化とコミュニケーション』、山口昌男『文化と両義性』)。さらに、マージナルとしての辺境というのを拡張すれば、〈内なる辺境〉ということになるんじゃなかろうか。安部公房の同タイトルのエッセイ集とは取り敢えずは関係ないが。これによれば、中心こそ辺境だということになる。中心とは、異質なるものどもが取り集められ・注ぎ込まれるハブの謂にほかならないから。
文化とコミュニケーション―構造人類学入門 (文化人類学叢書)

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文化と両義性〈哲学叢書〉

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内なる辺境 (中公文庫)

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辺境といえば、来月、親戚の結婚式のために雲南へ行く。Allegra McEvedyの雲南グルメ紀行は面白い*6

*1:http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091118/1258547733

*3:かつてルビコン川はケルト人のテリトリーと羅馬人のテリトリーの境界だった。

*4:ケルトについては、取り敢えずヴァンセスラス・クルータ『ケルト人』や鶴岡真弓ケルト 装飾的思考』を参照のこと。

ケルト人 (文庫クセジュ)

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ケルト 装飾的思考 (ちくま学芸文庫)

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*5:例えば、中国における同心円的な中心―辺境の構造については、大室幹雄『滑稽』、p.207を参照されたい。 See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090922/1253594813

*6:http://www.guardian.co.uk/travel/2009/dec/05/allegra-mcevedy-china-food-yunnan