承前*1
- 作者: 渡邊十絲子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 16回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
Skeltia_vergberさんにご紹介いただいた渡邊十絲子さんの「驚異と共感のはざま」、本文を読むことができたので、コメントめいたことを書き込みたい。
渡邊さんがいう小説が「感情のサプリメント」、「文学のファストフード」(p.328)となっているという状況は、多分「動物化」(東浩紀)と呼ばれる状況に対応しているのだろう。「シンパシー度の非常に高い小説は、つまり広範囲の読者に「とってもよくわかる」感じを抱かせる小説であるといえる」(ibid.)。渡邊さんは「最大公約数的な感情」(ibid.)という言葉を使っているけど、つまりは(統計的な)多数者が〈萌える〉と想定された〈萌え要素〉が巧みに配置されている小説が売れるということですよね。
また、
という箇所も、読んでいて、うんうんと肯いてしまった。
不特定の他人に自分の書く言葉がきっちり「通じている」と信じている(相手が思うその言葉の意味と、自分が思うのとが同じだと疑わない)人は、詩人ではない。社会的に、みんなが流通させていて、意味を改めて考えるなどということをしない言葉ばかりで「作品」を書く行為は、他人のシンパシーをあてにした行為だけれども、そのシンパシーには裏打ちはないのである。あなたの思う「友情」とわたしの思う「友情」は、まったく正反対の行動として現れることだってあるだろう。つまり、互いに思う「友情」の意味が違うのである。このあたりの事情を無視してしまうのは、「詩人」としては失格である。「友情」といえば「友情」という「同じ一つの意味」が通じるんだと思っている人は、ワンダーを捨てた人である。(pp.326-327)
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/11/20
- メディア: 新書
- 購入: 42人 クリック: 868回
- この商品を含むブログ (600件) を見る
ところで、「ワンダー」に注目していた業界として広告業界が挙げられるだろう。これには言語学的(記号論的)必然性もあり、つまり読者の注目時間を1秒でも長くするためには「ワンダー」に満ちた言葉(記号)の使用が要請されるからである。だからこそ、1970年代から80年代にかけて、コピー・ライター、糸井重里氏などがスターとなり、広告こそが「ワンダー」な言葉を担っていたとも言える*2。
これを読んでいて、ジャン=リュック・ゴダールの話を思い出した。出典は忘れたが、ゴダール先生曰く、資本家が映画の製作資金を出すというのは自分に投げつけられる火炎瓶(モロトフ・カクテル)の資金を提供するようなものであり、だからこそ資本家は映画をシロップに変えようとする。何しろ、映画にはそもそも砂糖がいっぱい含まれているのだから。
また、付け足し。渡邊さんは金子みすゞに言及している(p.322)。私が金子みすゞを読んで感じたのは、「世界に一つだけの花」の原型だということではなく、その二項対立の設定の巧みさとかだった。
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080105/1199511204
*2:これは批判的には、「ワンダー」の搾取であるともいえないことはない。