或る剽窃

旧友の粟津氏、怒る;


集合的記憶に関するオレの論文の一部が剽窃されていた。
某一流国立大の修士論文の一部だ。
そのまま文章が使われている。
ひどいなこりゃ。

ネット上に、PDFファイルとして公開されているので気がついた。
公開してしまっているということは学位を認めてしまったんだろうな。
修士で終わっていればいいが、博士課程に進学しているのであれば許されない(怒)。
http://www.scholars-net.com/lab/index.php?e=533

粟津氏には、ただただお見舞い申し上げるとしか言いようがない。
修士論文の審査のために、わざわざGoogleをかけて、地の文に剽窃がないかどうかをチェックしなければらなくなるというのは、かなりアレな状況と言えるだろう。
さて、この件とは別に、一般論として、学生のレポートに剽窃が多いという嘆きの声は多い。たしかにインターネットの存在がコピー&ペイストを容易にしたということはあるだろう。これについては、中学や高校の教育が悪いと言っておく。作文教育では、自分の心情や主張を書き表すことは重視されるが、論文或いは評論の基本である、他者の言説を引用し、それに対してコメントを付すという作法は教えない。文献引用の仕方や註の打ち方は作文教育では(或いは入試用の小論文対策でも)教えられない。しかしながら、レポートを課す大学教師は学生が論文執筆の形式的な基礎を既に知っていることを自明視している。このギャップがレポートにおける剽窃として現れているという側面はあるのではなかろうか。学生は悪意で剽窃しているというよりは、引用の仕方、註の打ち方を知らないということになる。勿論、大学院生になって、そういうことを知らないということは考えられないので、上記の例の場合、弁護の余地は全くないことは言うまでもない。