国籍喪失(米国)

Rebecca Palmer “Living between two cultures”(Shanghai Daily 21 September 2007)は、Nina Tuという女性の生涯を綴っている。Nina Tuは1935年に上海で、中国人の父親と米国人の母親の下に生まれた。彼女は1981年に渡米して、小児科医となり、今年上海の「上海申徳医院(Sun-Tec Medical Center)」に招かれ、現在小児科医として勤務している。
記事を読んで興味深かったのは、彼女の両親は1919年に米国で出会い・結婚したが、母親のMuriel Hoopesは中国人と結婚したことによって、米国国籍を失い、無国籍となり、以後60年に亙って無国籍者として上海で生きていくことになる。外国人男性と結婚した米国人女性が国籍を失うという制度が当時の米国にあったのだろうか。また、中国人(亜細亜人)との結婚ということによる差別的な措置だったのだろうか。ともかく、1980年になって、米国政府は国籍喪失に関して謝罪を行い、米国国籍の恢復を申し出た。その結果、米国人の娘であるNina Tuは自動的に米国国籍を取得した。
彼女の父親Tu Yuchingは文革中4年以上に亙り拘束され、釈放後間もなくして亡くなった。Muriel Hoopesも9か月に亙って拘束された。留学中の娘を訪ねた米国で89歳で亡くなっている。