Pour Abbas Kiarostami(II)

承前*1

先日他界したイランの映画作家アッバス・キアロスタミについて、先ず中国語のソースを3つマークしておく;


葉克飛「導筒伸向世界、阿巴斯却没忘記伊朗伝統」http://culture.ifeng.com/insight/special/abbas2/
寥偉棠*2「阿巴斯的電影風景:小津、原野與車廂」http://culture.ifeng.com/insight/special/abbas/
西川*3「阿巴斯写短詩、但它們却指向巨大」http://culture.ifeng.com/a/20160707/49311550_0.shtml


寥偉棠氏のテクストはアッバス・キアロスタミの写真作品にも言及している。因みに、寥氏は写真家でもある。西川氏のテクストはキアロスタミの詩集『随風而行』の序文。
さて、


「扉について:キアロスタミ監督『友だちのうちはどこ?』」http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20160705/1467679130 *4


「扉」を鍵言葉とした『友だちのうちはどこ?』の読解。一読をお奨めしたい。さて、開/閉の両義性を巡って、ゲオルク・ジンメルの「橋と扉」*5が参照されているのだが、デリダなら開/閉の両義性というか決定不能性の謂として「処女膜(hymen)」を持ち出すかもしれない(cf. 『尖筆とエクリチュール*6)。まあ、社会制度という準位において開/閉の両義性をもっともよく示しているのは〈言語(langue)〉でしょう。ネイティヴとして或る言語共同体に生まれ落ちれば、誰でも子どものうちにその言語を略完璧にマスターしてしまう一方で、余所者に閉じられているわけでは決してないけど、余所者(特に大人)がネイティヴ並みになるのはきわめて困難である(cf. ディクソン『言語の興亡』*7)。

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ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

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言語の興亡 (岩波新書)

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