他者としての書物(メモ)


(略)真っ白から他人の主観を通した知識を習うということは、相手のなんらかの意図をも書き写してしまうということだ。悪意に気づかないということだ。あるいは教える人も気づいていない落とし穴に気づかないということだ。それはすごい危険なことのような気がする。


確かに本を読んでても他人の主観は通ってるわけだけど、人の話を聞く方が、本を読むよりは断然効率がいい。そこに書いてある一文に悩む必要がない。悩んだとしても聞きに行けばいい。聞きに行けばだいたいその人は答えられる。答えられるから教えている。だけど本は聞いても答えてくれない。だから別の書物を人をたよることになる。そうすると複数の主観を通した知識が得られる。少なくともそれだけでも危ないところを素通りしなくてよくなるような気がする。気がするだけだけど。
http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20061109/1163070000

面白そうだったので、取り敢えずメモしておく。これは色々な理論への補遺として活用できるかも知れない。