逃げろや、逃げろ

承前*1

また別の手紙が届いたらしい;


またいじめ訴える手紙 高2女子、文科相あてに
2006年11月09日22時20分

 文部科学省は9日、伊吹文科相あてに、高校2年生の女子生徒を名乗る人物から、いじめを受けており自殺すると訴える手紙が同日午前に届いたと発表した。

 手紙はA4判のリポート用紙2枚。8日付の「渋谷」の消印がある茶封筒に入っていた。また、11日にいじめた人を殺して自分も死ぬという趣旨の記述があった。

 同省が7日に発表した別の差出人不明の「いじめ自殺予告文」では、11日に自殺の決行を予告している。今回の手紙の「11日」はそれを指したものだ。同省は、1都3県の教育委員会などに手紙をFAXで流し、調査を呼びかけた。

 今後こうした手紙が届いた際の対応について、木岡保雅・児童生徒課長は「ケース・バイ・ケースで対応する」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY200611090257.html

一般的な疑問だけ述べれば、何故逃げないの?ということだ。或いはどこかに避難するとか。「いじめた人を殺」すなんて、何時でもできる。どこかに逃げるとか避難するという選択肢が(主観的にも)ないということが問題なのか。勿論、本人を責めるべき問題ではなく、問題なのは直接的には周囲であろうし、社会なのだろうとは思う。

いじめられっこに共通する心理なんですが、「親には知られたくない」ってのがあるんですよ。いじめられっこの心理的に「いじめられる=自分の恥」みたいに感じるところはあると思います。俺、小学校のときいじめに遭ってたからわかるんだよね。

 その場合、親がやるべきことは、学校に喧嘩売ることじゃなくて、息子の意向を聞き、それに添うことだと思います。実際、息子は不登校というサイン出してるわけなんで、退学→転校、再入学っていう選択肢もあると思うんだが。多分、中学浪人とか珍しくないと思うんですよ、長野って。山形みたいなもんじゃん。田舎度は。山形だって中学浪人多いっす。

 まだ高校1年だったらそういう選択肢もあったのでは。つーか、DQNの坩堝みたいな学校抜けてマトモなところ入るだけでもかなり違うと思うし、いじめの対症療法としては正直言って、「今いる世界と別の世界を作る」か「今いる世界を別の世界に交換する」しかないと思います。俺は家庭の事情による転校+俺自身の不良化でいじめがなくなりましたけど。
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20051211


「逃げる」というとすごくネガティブなイメージを持つと思うんだけど、「逃げる」ってアリっすよ。

 そのまま戦って戦い疲れて死を選ぶんだったら、とりあえず逃げて英気養ったらまた戦えるわけだし、それに、わざわざ相手のフィールドに立って戦う理由なんざねえ。

 「自分に合う場所」が無かったら「自分に合う場所を探すために今の場所から出る」のは戦略だしね。

 魚釣りに例えるのもなんだけど、魚がいつまでも釣れなきゃ釣り場所を変えるだろ?それを逃げというやつはいない。

 それを逃げとたとえるのは世間知らずのキチガイだけだ。相手にする必要はねえ。

 ただ、ここんところのいじめ自殺見てると、その逃げ場所がないってのが問題かと。

 義務教育だと転校という選択肢しかないからなあ。転校にしても滝川市とか新庄マットなんかは地理的にかなりしんどいしなあ。
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20061102/1162482691

具体的にはこういうことになるのだろうが*2、実は逃げようと思えば地球上どこだって逃げられる。また、逃げる場所がなくても実は逃げる場所は残っているのだ。早い話、自室に引き籠もってしまえばいいのだし、脳内には「「いじめた人」だって入り込めないわけだから、脳内亡命ということだってある。
ただ、脳内亡命するにはやはりそれなりの文化資本、或いはそれと密接に関連した教養が絶対必要というわけではないにしても、それらがあった方が亡命しやすいし、亡命先の選択肢も拡がるだろう。古文や漢文が読めれば、直ぐに(戦時中の夷斎石川淳先生みたいに)江戸時代に脳内留学することができる。何故英語をやるのかという問題*3とも関係あるかも知れない。英語(或いはほかの言語)がわかれば、何か嫌なことがあっても、直ぐに脳内留学(現実逃避)することができる。語学に限らず、(実社会においても、また受験においてさえ役に立たないと思われている)教養的なものを学校でやるのかということを何とかして正当化(justification)しなければいけないとしても、取り敢えず現実逃避のためということで充分だと思う。ただ、英語について言えば、日本国内ではどうか知らないが、地理的な逃亡にも役立つ。現代世界において、その是非はともかくとして、世界の何処でも英語ができた方ができないよりも、実入りのいい身過ぎ世過ぎがゲットできる可能性が高い。
勿論、官のすべきことは「いじめ」の中でも傷害とか恐喝といった犯罪を構成するものに関しては、それに対応した処置をきちんと執るころだろう。しかし、それよりも必要なことがある。ヒッキーを矯正する施設なんか要らない。寧ろ必要なのはリラックスして引き籠もれる場所なのだ。