How Japanese perceive “bullying.”

http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20061120/1164005945経由で知る。
『読売』の記事なり;


いじめ、家庭教育に問題…本社世論調査

 読売新聞社が11、12日に実施した全国世論調査(面接方式)で、いじめが原因とみられる子どもの自殺が相次ぎ、いじめが大きな問題となっている背景を八つの選択肢の中から選んでもらったところ(複数回答)、「親が社会のルールを教えていない」が65%で最も多かった。

 次いで、「他人の痛みを思いやることができない」(55%)「親が子どもの悩みを把握できていない」(52%)の順で、家庭での教育の問題が大きいと考えている人が多かった。

 4、5位は、「教師の指導力や資質に問題がある」(48%)「学校が責任逃れをして問題を隠す」(45%)だった。

 全国の高校で起きた「必修逃れ」の問題で、文部科学省が決めた救済策について、「納得できる」と答えた人は、「どちらかといえば」を合わせて59%に上った。「納得できない」は計36%だった。文科省の救済策では、70時間を上限に本来受けるべき補習授業の時間数を減らすことにしている。

 10月に発足した安倍首相の諮問機関「教育再生会議」(野依良治座長)については、「期待している」が計58%で、「期待していない」(計38%)を上回った。

 男女別にみると、「期待している」は、女性(62%)が男性(54%)より多かった。年代別では、30、40歳代の「子育て世代」と70歳以上が、いずれも62%と高かった。

(2006年11月19日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061119ur01.htm

所謂「いじめ」問題の責任を「教師」や「学校」よりも「親」に帰属させる人の方が多いというのは意外なのか、それとも想定内なのか。記事では8つの選択肢全てが言及されているわけではないのだが、責任を政府に帰属させるというのは問題にならないくらい少数派なのか。それとも選択肢すらないのか。
ところで、「いじめの背景を八つの選択肢だけに限定してしまっている」ことに関して、

 読売新聞はいじめの背景をどうやって分析し、八つの選択肢を導き出したのだろうか。読売新聞のこの調査は、読売新聞の描き出した「いじめ」というのはこんなものだという決めつけのイメージが結果として表れたものであり、本当の要因が何かは全く明らかにできていない。このような調査は、単に親や教員などを批判するための道具として使われるだけであり、いじめの解決に貢献するものではない。

 これは、単に社会学的な視点を欠いているとか、素人だからしかたないというだけで済むようなものではない。マスコミは教育問題を扱う場合、最初からあるイメージを持っていて、そこに現象を当てはめてしまおうとする。いじめの問題に限らず教育の問題は、要因が複雑に絡み合っているものがほとんどだ。まずは、それらを一つ一つ丁寧に見ていかなければ問題は解決に向かわない。

というのは、言いたいことはわかるのだが、少し外しているような気がする。そもそも「いじめの背景」が世論調査でわかる筈がない。世論調査でわかるのは、日本人それぞれが抱く「「いじめ」というのはこんなものだという決めつけのイメージ」がどのように分布しているのかということだけだろう。勿論、記事のタイトルの付け方がそれを隠蔽しているかのようになっていることは問題だろう。ともかく、大衆民主制において実際に政治を動かすのはこのような「決めつけのイメージ」の集積であるといってよい。
ところで、「親が社会のルールを教えていない」ということだけれど、この認識は親にとってもリスキーである。「教え」るべき「社会のルール」というのは表のルールなのか、それとも裏(本音)のルールなのか。裏のルールでは、http://d.hatena.ne.jp/kechack/20061117/p1http://d.hatena.ne.jp/sivad/20061117#p1で指摘されているように、「いじめ」というのはあって当然というか、極論すれば肯定されるべきものとしてある。但し、それはあくまでも裏にとどまる限りにおいて。だから、大っぴらに聞こえるレヴェルにおいては表のルールが流通することになる。親が表のルールを教えても、察しのいいこどもなら、声に出されていない部分を読み取って、裏のルールを学習するということになる。そうしたら、「いじめ」問題はどうなるのか。ひとついえることは、「いじめ」の転換ということだ。子どものせいぜいむかつくとかキモいという感情を動力とした目的意識以前的な「いじめ」から大人の戦術としての、手段化された「いじめ」への転換。