さて、「フランシス」とは「水車の名前」(p.76)。
東京での仕事を三十五歳で辞め、北海道の小さな村で郵便配達をする女。川のほとりの木造家屋で世界中の「音」を集めながら暮らす男。偶然出会った彼らは、急速に惹かれあっていく。からだでふれあうことでした感じられない安息と畏れ、不意に湧きあがる不穏な気配。その関係が危機を迎えた嵐の夜、もう若くはないふたりが選択した未来とは。深まりゆく愛とひと筋の希望の光を描く傑作。
「フランシスというのはフランシス・タービンのこと、つまりフランシス水車だね。十九世紀にこれを発明した、イギリス生まれのアメリカ人の名前なんだ。上から落ちてくる水の圧力で水車をまわし、羽根車を回転させて発電する。じつによくできた水車で、メンテナンスしだいでは五十年ぐらい平気でまわりつづける」(p.77)
(前略)
「これがフランシス」
和彦が手で示したものは、太いパイプをくわえこんだ巨大なアンモナイトのようなかたちをした鋼鉄製の機械で、薄い青銅色をしていた。パイプのつなぎめはキャラメルくらいの厚みのあるボルトで締められている。もしもこの青銅色の殻のなかにアンモナイトが潜んでいるとしたら、目玉はソフトボールくらいあるだろう。桂子は少し上の空で想像する。
地鳴りのような音は、アンモナイトの内側に、冷たい大量の水が厚みと重みをともなって流れこんでくる様子を伝えてくる。「速度エネルギー」と「圧力エネルギー」と和彦は言っていた。圧力には音がないだろうから、これはたぶん速度の音だ。
「この上から水が落ちてきて、なかの水車が回転する。それが発電機を動かして、電気が発生する。原理は小学生にもわかるぐらい簡単」
和彦が「この上」と言いながら、小屋の山側を指さした。窓は曇っていて、外の景色がぼやけている。
「肯定さが速度になり力に変わる。重力を使うわけだから、水と地球がなくならないかぎりエネルギーが絶えることはない。使い終わった水は川にもどすだけ。人間は紀元前から水車を使っているから、羽根のかたちも何千年の試行錯誤を経てきている。風力発電もジェットエンジンも流体機械という意味ではフランシスと同じだよ。出力は二五〇キロワットだから大した電力量じゃないけれど、安地内くらいの戸数ならこれでまかなえる」
(後略)(pp.79-80)
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110305/1299293785 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180303/1520088990 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/05/16/103640 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/05/20/161406 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/06/17/103205 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/06/23/124245
