ざこば

ABCニュース曰く、


【訃報】落語家の桂ざこばさん亡くなる ぜん息のため
6/12(水) 14:16配信


ABCニュース

 長年、上方落語の人気を支えた落語家の桂ざこばさん*1が亡くなっていたことがわかりました。76歳でした。

 所属する米朝事務所によりますと12日午前3時14分、ぜん息のため自宅で亡くなったということです。故人の意向で通夜・葬儀は家族で執り行うとしています。また、追ってお別れの会を開く予定とのことです。

 1947年、大阪市に生まれた桂ざこばさんは中学卒業後、1963年に三代目桂米朝さんに弟子入りしました。朝丸の名でデビューすると、やんちゃで朴とつとしたキャラクターで人気をあつめ、ラジオやテレビのバラエティ番組でも活躍しました。

 1988年には二代目桂ざこばを襲名し、人情味あふれる芸風で米朝さん直伝の古典落語を得意としていました。

 ざこばさんは2017年に脳梗塞で一時入院しましたが、その後高座に復帰し、ことし4月、3人の弟子の襲名記者会見にも元気な姿を見せていました。


桂米團治さんがコメント
 私が幼稚園に通い出した時に、入門されたのが、ざこば(当時の朝丸)兄さんでした。

 本当によく遊んでもらいました。4歳の私を15歳の少年が面倒みるのですから、さぞかし大変だったことでしょう。ボール投げ、缶蹴り、ザリガニ捕りなど、思い出は一杯あります。

 父・米朝は修業中の弟子を住み込ませていたので、私は米朝の長男でありながら、家には常に「お兄ちゃん」がいました。なかでも、ざこば兄さんは師弟愛が強く、「俺こそ、ちゃあちゃん(米朝の愛称)の一番の子どもや」という思いがおありになったようです。

 私が噺家になってからも、私の考え方がおかしいと思われた時は容赦なく叱って下さいました。何事にも一所懸命に振る舞われたお兄さん! お兄さんの落語に登場する人物は、どの人も「情」に溢れています。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります。本当にありがとうございました。合掌。
https://news.yahoo.co.jp/articles/978502fc28cd91077217c7bffb4b766f7453bdd1

私にとって、「朝丸」時代の『ウィークエンダー』の印象が強い。
立川談慶師匠*2

桂ざこば師匠の訃報に接し、ただただ驚いています。子供の頃は、日テレ系「ウィークエンダー」のレポーターとして一世を風靡し、押しの強さとアクの出し方の旨さで押しも押されもせぬ人気者になっていました。落語に関してはとてもまじめな生一本のご様子で、そのキャラクターがきっちり活かされた「天災」はいつも爆笑させていただいていました。師匠談志も気に入っていた上方落語界の逸材でした。76歳は早すぎます。とても残念です。謹んでお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りください。合掌。
西条昇*3

私が初めて桂ざこばさんを知ったのは、前名の桂朝丸時代に泉ピン子さんと共にレギュラー出演されていた日本テレビ系『ウィークエンダー』という番組でした。新聞の三面記事を詳しく解説・報告する番組で、ざこばさん独特のせっかち(関西弁で言う「いらち」)な口調で「〜なわけだ!」と下世話なニュースを熱っぽく語っていた姿には強烈なインパクトがありました。
1988年にざこばを襲名後は、師匠である桂米朝さんの端正な芸風とも、兄弟子の桂枝雀さんのデフォルメされた爆笑派の芸風とも異なる、独自の上方落語らしい上方落語の世界を築かれたと思います。
1992年にスタートした『ざこば・鶴瓶らくごのご』では、毎週、スタジオの観客から貰った3つのお題からその場で考えた三題噺で笑福亭鶴瓶さんと競い合う姿も忘れられません。
心よりご冥福をお祈り致します。
『必殺仕事人』に出たのは「ざこば」襲名直前のこと。そして、「川藤出さんかい!」のサントリー・モルツ;