「由熙」へ

温又柔*1「二つの母国語」『毎日新聞』2022年9月4日


李良枝の作品との出会い迄について。


中学生の頃、街中で思いがけず中国語が聞こえてきたとき、懐かしくなったことがある。その響きが自分にとって、赤ん坊としてこの世に生を受けたばかりの頃の記憶と確かに結びついているのを感じたのだ。
いつからか私はよく想像していた。生まれた台湾で育っていたら、自分も今ごろ、この日本語の代わりに、中国語でものを考え、思い、感じていたに違いない……。
17歳の頃、「第2外国語」として中国語を学び始めた。大学2年生になると上海で約4カ月半にわたる語学留学も経験した。日本からの留学生として中国で過ごした日々は、期待していたようには楽しいことだらけではなかった。いやむしろ、おろおろとさせられてばかりだった。

(私は台湾人なのに、日本人の友だちよりも中国語ができないんだ)
20歳の私は、台湾人なのにろくに中国語ができず、一方で、日本人ではないくせに日本語しかできない自分が、歪な存在に思えてならなかった。日本語は日本人のものであって、私のものではない。それなのに私は、一刻も早く自分のものにするべきはずの中国語によそよそしさを覚えるばかりで、今日もまた、乱れた心を鎮め、整えようと日本語に縋っている……。

今思えば、あの頃の私は、「日本語を書くことで自分を晒し、自分を安心させ、慰めもし、そして何よりも、自分の思いや昂りを日本語で考えようとした」、由熙そのものだった。由熙、とは、作家・李良枝による小説「由熙」の主人公のことである。日本生まれの韓国人である由熙は、母国・韓国に留学するのだが、自分は日本人でもなければ韓国人でもないと思い悩む。
日本語と韓国語。
二つの「母国語」の間で揺れ惑う由熙の姿に、私は我が身を重ねずにはいられなかった。
と同時に、日本人として生まれなかった一人の作家による、日本語でしか表現しようのない「由熙」という小説に巡り合えた自分の幸福に興奮した。李良枝の小説は私に教えてくれた。
日本語は、私やあなたのものでもある。
私は、日本語に対して遠慮するのをやめた。それは、私のものでもあるのだから。小さな希望の火花が燃え立つのを感じた。李良枝のように小説を書いてみたい。私も、私の「由熙」を書こう……。