ツタヘではない?

産経新聞』の記事;


2016.12.15 11:00更新
【関西の議論】
日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん

 多くの謎に包まれた古代史の世界で、50年前に国内で発見された「ホツマツタヱ(秀真伝)」という歴史書が一部の愛好家たちを惹きつけている。漢字が伝わる以前の日本にあった「ホツマ文字」という文字でつづられ、古事記日本書紀よりも古い書物…と愛好家は信じる。もちろんさまざまな矛盾点から学界では疑問視する声が強いが、研究熱は止まず、11月には発見50年を記念した全国フォーラムが同書の全巻が見つかった滋賀県高島市で開かれた。関係者は「ホツマ文字」で書かれた文献はまだどこかに眠っている、と大真面目だ。歴史ファンを熱くする「ホツマツタヱ」っていったい何?


古代の国造り描く!?

 「再発見50高島ホツマツタヱ縄文ロマンの集い」と題したフォーラムをのぞくと、全国から集った約400人の愛好家たちで熱気に満ちていた。ホツマツタヱの研究会は、東京、滋賀、岩手、徳島など全国10数カ所にあり、数百人が所属しているという。

 隔月発行の同人誌「検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩」の編集長、原田武虎さん(54)によると、「ホツマツタヱ」は「天・地・人」の3部で構成する約12万文字、全40巻の書物。古事記日本書紀の「記紀」と同様、古代の日本の国造りを描いているとされる。
http://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n1.html

発見された書は江戸期に製本されたもので、○や△のような形で表した「ホツマ文字」で書かれ、隣に漢文の「翻訳」がついている。「アマテラスオオミカミ」や「イザナミ」に相当する人物も登場するといい、記紀を下敷きにしているのでは、との自然な疑問が生まれるが、原田さんは「皇室関係の系図がより明確に描かれ、歴史の理解が進む」と話す。


全40巻発見!!

 「再発見50高島ホツマツタヱ縄文ロマンの集い」の井保國治実行委員長(51)によると、昭和41年8月、出版社「自由国民社」の編集長などを務め、古代史の研究者でもあった故松本善之助氏が東京・神田の古書店で「ホツマツタヱ」の一部の写本を発見したことが、今につながる研究の始まりだった。

 松本氏は知人の国学者などに冷ややかな目で見られながらも、独自に研究を進める。全40巻を探し求めるなかで、四国の旧家に残っていた写本に「高島郡の某から借りて写した」との記述を発見、滋賀・高島市を訪れる。そこで知り合ったのが、土地の旧家の井保家だ。今回の実行委員長を務めた井保さんも一族にあたる。

 そして平成4年、高島市安曇川日吉神社の蔵から全40巻が発見された。実は井保家の先祖が漢訳を完成させ、神社に納めていたのだ。書籍には安永4(1775)年と制作年代の記載があった。全巻が見つかったことで、一気に「研究」が進んだ。

日本古来の文字!?
http://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n2.html

内容はほとんどが古事記日本書紀と同じ時系列、同じ内容で描かれている。違う点は、記紀はすべて漢字で表記されていることに対し、「ホツマ文字」が使われていることだ。

 古代から高度な文化水準を誇った日本では、漢字以前に独自の文字を持っていたとする説もある。その疑問に答えるのがホツマ文字と「ホツマツタヱ」であると愛好家は口をそろえる。

 ホツマ文字とは点や線で表される子音と、丸や三角で表される母音を合わせて発音がつくられる。それぞれの記号には風や水などの意味があるとされ、象形文字の要素もある。愛好家によって「ホツマ48音」という現代の50音表に相当する表も作られた。


アカデミズムからは…

 ただ、現代のアカデミズムの世界では、記紀より古い時代の文字だとするホツマ文字はほとんど研究対象になっていない。記紀万葉集などの分析から、当時は現代の5母音より多い母音で音が構成されていたと考えられている。

 母音が5つで、しっかりと現代の50音に対応しているホツマ文字で書かれたホツマツタヱは「真偽があやしい」と、上代日本を専門とする関西地方のある大学教授は話す。「古代からかなりくだった時代に、誰かがこうあってほしいと思ったことを記したのだろう」と。

 また、ホツマ文字だけで書かれた文献や、江戸期以前に書かれたホツマツタヱの書籍は見つかっていない。井保さんも「もっと古い時代に書かれたホツマツタヱが出て来れば信用度も増すのですが」と話す。
http://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n3.html

高島の“ブランド”に!?

 学術的な評価という点では分が悪いホツマツタヱだが、「固定ファン」をしっりつかんでいる点では古代史の奥深さを感じさせる。全巻が見つかった「聖地」の高島市も、地域活性化に活用したい意向だ。

 今回のフォーラムを後援した高島市教委は「信憑(しんぴょう)性が判断しづらい」としつつも、「そもそも研究は自由で万人に開けたもの。市外の方々が高島市に来ていただけるのはありがたい。今後もイベントを後援するなどの形で積極的に見守りたい」とする。

 前述の大学教授は「学生時代にホツマを知ったとき、古代に独自の文字があったのだと想像してロマンは感じた」と話す。教授によると、ホツマツタヱのように、古事記以前に書かれたという歴史書は、東北で見つかったとされる「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」など複数あるという。

 万葉集など古代から豊かな出版文化を育んできた日本。真偽はさておけば、さまざまな「歴史書」の作成は、その一端を表したものともいえそうだ。
http://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n4.html

先ず高島市の観光課とか観光協会じゃなくて教育委員会が後援しているというのに吃驚。「地域活性化に活用したい意向」ということだけど、どんなネタを使っても、それを町興しとか観光開発に繋げていくというのはアリだと思うのだけど、さすがに教育委員会はないと思う。例えば、理系的なネタでいえば、STAP細胞の信者たちのシンポジウムが千葉県松戸市で開かれて、松戸市教育委員会がそれを後援したとなれば、大炎上間違いないでしょう。
さて、記事では『ホツマツタヱ』で使用されている「文字」を「ホツマ文字」としているけれど、それは「ヲシテ」と呼ばれるのが一般的なのでは?*1。勿論「ホツマ文字」が間違いだというわけではないけれど。また、記事の中の「記紀万葉集などの分析から、当時は現代の5母音より多い母音で音が構成されていたと考えられている」という箇所に注釈を加えると、これは所謂「上代特殊仮名遣」*2。先ず本居宣長が気づき(『古事記伝』第1巻)、近代に入って橋本進吉によって本格的に学説化された(『古代国語の音韻に就いて』)。
古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

古代国語の音韻に就いて―他二篇 (岩波文庫 青 151-1)

古代国語の音韻に就いて―他二篇 (岩波文庫 青 151-1)

ランダムに幾つか乾燥もとい感想。
先ず「ホツマ」な人たちが「縄文」を強調しているということ。「よみがえる縄文叙事詩」とか「縄文ロマンの集い」とか。飛鳥時代とか弥生時代をスルーして、何故一気に「縄文」なのか。意識しているのかしていないのか、直接かかわりがあるのかないのかはともかくとして、ここに「先住民史観」という言葉をぽこっと置いてみる*3
さて、今気づいたのだけど、「ホツマツタヱ」なんだね。ツタヘじゃなくて。管見によれば、ツタエ(伝え)を正仮名で書けばツタへになる筈。そもそもは行だったわけだ*4。それがわ行(ゑ)になって、さらに子音のwが脱落して、江戸時代の中頃には現代語のようなあ行のになったわけですよね。だとしたら、「ホツマツタヱ」というのは上代どころか古代でさえなく、中世から近世にかけての表記ということになるのでは?
上の記事でも言及されている〈ホツマツタヱ学〉の開祖ともいえる松本善之助という人。一瞬、あの部落解放同盟の大物! と思ってしまった。瞬間的に松本治一郎と朝田善之助をマッシュ・アップしていた。
記事から離れるが、飯間浩明氏の「ホツマふたたび」という文章は『ホツマツタヱ』偽諸説の根拠をコンパクトに説いて、わかりやすい*5。その中で、「ホツマ文字」を含む所謂「神代文字」の多くに朝鮮のハングルをぱくった疑惑があることが指摘さてている。上の同情的なトーンで記事を書いている産経記者もそうだけど、「ホツマ」の人には国粋主義的な人が多いのではないかと推測している。でも、〈国粋〉を極めていった果てが朝鮮のぱくりだったというのは、何処か〈哀しき熱湯浴〉的なもののあはれを感じないだろうか。また、神代文字が作られた江戸時代の人たちはハングルからどんな想像力を喚起されていたのかとも思う*6
ところで、Wikipediaの「ホツマツタヱ」の項は信者が恣に書きまくっているので、多面的な理解には全く役立たない*7。バランスの取れた記述になっているのは「ヲシテ文献」というエントリー*8。上で援用した飯間氏のテクストもここからのリンクで知った。また、こうした問題については、やはり藤原明『日本の偽書*9はマークしておくべきだろう。
日本の偽書 (文春新書)

日本の偽書 (文春新書)

また、産経の記事に戻ると、最後の方で、

前述の大学教授は「学生時代にホツマを知ったとき、古代に独自の文字があったのだと想像してロマンは感じた」と話す。教授によると、ホツマツタヱのように、古事記以前に書かれたという歴史書は、東北で見つかったとされる「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」など複数あるという。
東日流外三郡誌』出た!