大貫恵美子『日本人の病気観』

大貫恵美子『日本人の病気観――象徴人類学的考察――』*1を読了したのは6月か7月のことである。


はしがき


一 序文

第I部 基本的諸概念および健康・病気に対する態度
二 文化的病原菌(日本人のばい菌観)
三 二元論的な世界観の中の病気観
四 物態化(あるいは身体化)――日本の病因学の一局面――


第II部 多元的医療体系
五 漢方
六 日本における宗教の医療上の役割――概観――
七 日本における宗教の医療上の役割――歴史的・象徴的解釈――
八 医師と外来患者――生医学(その1)――
九 入院――生医学(その2)――
一〇 多元的医療体系
まとめ


引用文献

この本は主に、著者が1979年から80年にかけて関西(「阪神間のX市」(p.15))で行われたフィールドワークに依拠している。21世紀にこの本を読んで、驚いたり首を傾げたりするところがあるのは、40年以上という歴史的距離とともに、この地域的バイアスがあるのかも知れない。

本書は都市部の日本人について一般化を行っている。したがって、本書で「日本人」とは都市在住の日本人、さらに厳密には、京阪神諸市民のことを指す。この人たちは中産階級に属しているが、ほとんどの日本人が中産階級とみなしうる現代日本では、この点はさほど意味を持たない。一般化および総覧には必ず例外が数多く存在する。念のために述べておくが、本書において提示するパターンや構造は抽象化されたものであり、実際の行動そのものと同型ではない。実際の行動は構造の無限の変容と考えられる。(pp.17-18)
また、

本書において「日本人的」とか「都会の日本人的」などという形容詞を用いている場合、注意していただきたいのは、決してそれらが個々排他的に日本人特有のものであるということを意味しているのではないということである。たとえば、日本で仏僧が病人のために祈禱するのとほとんど同じことをアメリカのカトリック僧も行っているし、病気に対して肯定的な態度をとるころにおいては、日本人に限らず、ユダヤアメリカ人、欧州ではイタリア人等に共通するものがある(ズボロスキ、一九五二)*2。さらに例を挙げるならば、第九章で紹介している日本人の家族ぐるみの病人の世話は、他の社会においても、人間関係が一般的に重視されるアフリカ社会やイタリア社会でも同じように見うけられるものである。また、現在*3アメリカ文化を人類学的に考察すると、そこでも象徴的思考や公道が豊富に発見される。
したがって、種々の「日本的」特徴と思われるものを個別的にみると、他文化との共通性が多くある。一文化の固有性は、ヴァンシーナ(一九七〇)*4が文化についての一般論で述べているとおり、「個別的には独自性を欠いた要素の組合せの独自性」ということにあろう。一文化の独自性を把握する方法は、ヴァンシーナのいう「歴史的規則性」を追究することであり、本書においても部分的に歴史的考察を行っている。(後略)(p.3)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/01/31/154058 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/03/05/105953

*2:Zborowski, Mark “Cultural components in responses to pain” Journal of Social Issue 8, pp.16-30, 1952.

*3:本書は1984年に上梓された。

*4:Vansina, Jan “Culture through time” in R. Naroll and R. Cohen (eds. ) A Handbook of Method in Cultural Anthropology, Natural History Press, pp. 165-79, 1970.