3世の時代

栗原俊雄*1「そこが聞きたい 歴史・記憶・継承のため 全国硫黄島島民3世の会会長 西村怜馬氏」『毎日新聞』2023年1月31日


硫黄島は「戦前には1000人規模の島民が暮らしていたが、戦後も強制疎開により帰島できないことは、あまり知られていない」。
「全国硫黄島島民3世の会」について;


全国硫黄島島民の会は、島で育った1世を中心に作られたが、高齢化が進んだため、島に墓参する1世に同行してきた孫の世代が島の歴史。文化を継承していくために2018年に発足した。戦前の写真といった資料の収集と公開、1世の人たちの聞き取りを行ってきた。
戦前の硫黄島について;

戦争前に1000人以上が暮らしていた。戦争の島、水もない島というイメージが強いと思う。しかし亡くなった祖母を含めて1世の方々はみな「食べ物に困ったことはなかった」と話していた。硫黄や砂糖、薬用植物の栽培が主産業で、漁業も盛んだった。野菜や果物がたくさん取れて、牛や豚、鶏も飼育されていた。「取れないのは米だけ」だったが、その米は本土から送られてきたそうだ。
実際に私が渡島してみると、パパイヤやバナナが自生していて、本当に豊かな島だったんだなと思う。水は、飲料水の水源はなかったが、雨水をためて生活できたそうだ。戦時下、自給していた島にいきなり兵士2万人以上が移住してきたため、食糧や水が不足したのだ。

硫黄島には、1世や遺族ですら自由に渡れません。
戦略上の制限があるとしても、異常だと思う。私たちが渡島する機会は、小笠原村、東京都がそれぞれ主催する慰霊と墓参、遺骨収容がある。ここ数年は新型コロナウイルスもあって、訪島して墓参ができない状況が続いた。1世の人たちが健在なうちに、機会を増やす必要があると思っている。都と村、防衛省に努力してもらって、訪島の機会を増やすような仕組みを増やすような仕組みを作ってほしい。

島民103人が軍の手伝いなどで残され、93人が亡くなっています。そして1万体以上の遺体、遺骨が行方不明です 。
私の大おじ3人も亡くなった。遺骨は見つかっていない。全島が自衛隊基地のため、制限があるのは理解できるが、もう少し遺骨収容に力を入れてほしい。また、現状では収容団に参加するには2週間程度割くことになる。仕事をしている現役世代には高井ハードルだ。例えば1週間程度にして、延べの派遣回数を増やすようにすれば参加できる人は増えるはずだ。DNA鑑定も、積極的に進めてほしい。
硫黄島については、石原俊『硫黄島 国策に翻弄された130年』をマークしておく。