「入れ子構造」から

渡辺保*1入れ子構造から広がる多面的世界」『毎日新聞』2022年8月6日


恩田侑布子『渾沌の恋人 北斎の波、芭蕉の興』という本の書評。
渡辺氏は、先ず


雲の峯幾つ崩れて月の山
という松尾芭蕉の句*2の解釈が凄いという。
著者によれば、

(前略)ここには五つの「入れ子構造」がある。第一に現に登拝している月山*3、第二に秋の月に照らされた山、第三に麓の刀鍛冶の銘「月山」、第四に天台止観でいう真如の月、第五に女性原理の暗喩。この五つの「入れ子構造を踏まえて多層的な音楽*4のダイナミズムを味わ」えば次の様になる。
「今朝わたしは見た。炎暑の大空に峯雲が雄々しく聳え立つのを。その隆々たる純白の柱を。柱廊は太古から月山をどれほど荘厳してきたことか。涯りなく繰り返された雲の輪廻よ。すでに日は没し、潰え去った積乱雲はあとかたもない。日中のふもとの炎暑が嘘のようだ。冷ややかな月光に洗われて横たわる寂寞*5の山よ。あなたは知っているだろうか。雲の峯はわが煩悩、風狂の思いでもあったことを。万物の声をひかりのように孕んで、万物と放電を交わさずにはいられないこの男の祈りを。いつか真如の月にかがやくまで、わたしは歩き続けよう。弓なりに身を反らせる刃、十七音という詩の刀を、月の香になるまで鍛ち続けよう」
入れ子構造」というのは、本体に全く別のものを重ねて入れ込む手法をいう。当然そこに二重三重の意味を生じる。その五つの意味を著者が奔放に、しかし細微に逃がさぬ盟約である。(後略)
渡辺氏は、著者の業には「三つの意味」があるという;

第一に、一般的な解釈の世界とは全く違う世界を発見した。その世界は著者が指摘するように、さながら二十世紀のピカソキュービズムにも似た多面的世界であった。
第二に、この世界の発見によって十七文字の短詩は、時空を超えて歴史的かつ日本の他の分野の文芸、演劇、絵画を一貫する文化の本質に至ることになった。それだけこの世界が日本文化の本質を含んでいたからである。
そして第三に(略)近代的な合理主義が切り捨てて来たもの、目に見えず、耳にも聞こえず、その心のみが見、聞くことが出来るものを捉えることが可能になった、たとえば「月山」という銘の刀はあの雲の峯とどう対峙しているのか。それが鮮明になったのである。
さらに、

(前略)著者は「興」と「切れ」という二つの概念に行きつく。「興」は興趣、興味、興がるという言葉が示す通り、その作品の周辺に起き、作品の中から湧き上がって、それを享受する側の想像力を含めての、不可視のイメージの広がりを示すものである。
その一方「切れ」は俳句の短い詩形の中で作られて場景、人格、道具の転換を可能にする、いわばブラック・ホールをいう。「興」はその作品を包む空気であり、それを蓄え、あるいは転換を可能にする仕掛けが「切れ」である。その「興」と「切れ」によってはじめて冒頭の「月山」の句の解釈による五つの入れ子構造のポイントが生きて働く。
さて、『渾沌の恋人』の「恋人」には「ラマン」というルビが振られている。どうしても、マルグリット・デュラスを連想してしまう*6