デュラスのこと、つらつら

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070422/1177265280マルグリット・デュラスの『インディア・ソング』に言及したら、「あんとに庵」様のノスタルジアを喚起してしまったよう*1
ところで、私は『インディア・ソング』よりも『ヴェネツィア時代の彼女の名前』の方を先に観たのだった。『インディア・ソング』の「音のフィルム」をそのままに、巴里郊外のロスチャイルド仏蘭西語読みだから、ロートシルドか)邸の映像に置き換えたもの。これは極めつけの〈デュラスの映画〉といってもいいのだろう。ただ、amazon.co.jpで探したら、DVDは出ていないようだ。デュラスの映画で最初に観たのは、これもDVDは見つからなかった『アガタ』*2。それ以来、〈シーズン・オフのリゾート〉という設定にある種フェティシズム的な感情を持ってはいる。1980年代の半ばに明治学院大学で観た。明治学院に「アンリ・ラングロワ集団」というサークルがあって(今もあるのか)、そこが上映会を開いたのだった。上映後には当時明学の教授だった清水徹氏の講演があった。話の内容で今も覚えているのは、『アガタ』がローベルト・ムジールの『特性のない男』、さらにはシャルル・フーリエを踏まえているということ、また清水氏は『愛人』

愛人 ラマン (河出文庫)

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の訳者でもあったが、『愛人』にも言及しつつ、デュラスにおいてはdeparterという動詞が重要であること、またデュラスの使うmer(海)という言葉については仏蘭西語においてmerとmere(母)の発音が同じであることに注意すべきだということ。
また、 Hommage a Durasというリチャード・ジョブソン、ヴァージニア・アストレイ、(ドゥルッティ・コラムの)ヴィニ・ライリーが参加したコンピレーション・アルバムも思い出してしまった。ここで、ヴァージニア・アストレイが『インディア・ソング』のテーマを弾いている。
さてさて、カトリックプロテスタントという話の脈絡だったが、「うさこ」さんがガブリエル・アクセル監督の『バベットの晩餐会』のレヴューを書いている*3カトリックプロテスタントの差異を直感的に掴むにはもってこいの映画だとは思う。
バベットの晩餐会 [DVD]

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ただ、カレン・ブリクセンの原作小説が映画の上映に合わせて、(たしか中沢新一のエッセイ付きで)刊行されて、買ったのだが、どういうわけか(20年くらい経つのに)まだ読んでいない。Orz

*1:http://d.hatena.ne.jp/antonian/20070423/1177303904

*2:デュラスが脚本を書いたということなら、『24時間の情事』を先に観ているが。

*3:http://blog.goo.ne.jp/fassarl/e/a0b083a10860496f6fbfd4fdc07f0fc8