死後は山へ?

山岳信仰 - 日本文化の根底を探る (中公新書)

山岳信仰 - 日本文化の根底を探る (中公新書)

鈴木正崇『山岳信仰*1からメモ。


山岳信仰の基盤には、山は人が亡くなった後に、死者の霊魂が赴く場所であるという山中他界観がある。「山」という語には死の連想が伴い、葬儀用語と結びついていた。一般に埋葬を山仕事、山揃えといい、墓穴掘りをヤマゴシレヘ(隠岐中村)やヤマシ(奈良県北部)と呼ぶ地方がある。壱岐では墓掘りをヤマイキ、墓穴掘りをヤマンヒト、屍をくるむ茣蓙をヤマゴザという(『綜合日本民俗語彙』第四巻、一九五六)。越後三面では死ぬといわず「山詞になる」といい、三河東部では火葬をヤマジマイ、香川県では火葬番への差し入れを「山見舞い」、高知市では出棺の時に「山行き、山行き」と叫んだ(和歌森一九六四*2)。
ちなみに、修験が亡くなった時には「帰峰」という。羽黒山で個人的に聞いた話であるが、楊節の修業を熱心に行った先達の葬儀の場で、居合わせた人が、どこからともなく「どっこいしょ、どっこいしょ」という声を聞いたので、「ああ、今、山を登っているのだな」とみなが思ったという。
日本の各地には、死者の霊魂が集まるとされる山がいくつかある。東北の恐山や月山、関東の相模大山、中部の白山や立山、近畿では高野山、伊勢の朝熊山那智の妙法山などである。妙法山は「亡者の一つ鐘」で有名で、熊野では死者の枕元に供える三合の枕飯が炊き上がるまでの間に、死者の霊魂は手向けられた樒の葉を手に妙法山に参詣し鐘をつくと伝承されている(『紀伊風土記』文化三年〔一八〇六〕)。(pp.10-11)
さて、他方で補陀落渡海*3と結びつくような〈海上他界観〉も存在するわけだが。上で言及されている「那智」は補陀落渡海の拠点でもあったのだった。