何故か「クローン」

飯島洋一*1「大航海からひもとく差別と暴力」『毎日新聞』2022年8月6日


平野千果子『人種主義の歴史』*2の書評。


(前略)本来はそのような[「人種分類」のような]分割はできない。しかしある集団が「私たち」と称し、それが単数のアイデンティティを持つ集団に変化すると、次に「私たち」とは異なる「彼ら」を発見して、「私たち」と「彼ら」の間に境界線を引く。たとえばアーリア人という単数のアイデンティティが捏造されると、それが「神話」だとしても、たちまち異なる少数派への暴力が発生する。これが人種主義である。
今日では、「マイクロアグレッション」と呼ばれる、あからさまではない見えにくい差別が注目視されているように、人種主義の問題はいまもなお未解決なままである。
このまとめはよい。ただ、この後、

ところで、このようなことを考えてみた。バイオテクノロジーが「クローン人間」を生み出した時、大航海者が新世界で時と同じ事態になるはずだ。その場合、またもや「私たち」は「彼ら」を異なる他者として差別するのか。それとも「彼ら」を同じ社会に迎え入れるのか。その答えはまだ、どこからも出ていない。
不適切な比較だろう。コロンブスのような「大航海者」たちは意図せず、異なった容姿や文化を持った「先住民」たちと遭遇してしまった。それに対して、「私たち」は「クローン人間」と遭遇するのではないだろう。また、「クローン人間」は「 バイオテクノロジーが」作るものではない。あくまでも主語は「私たち」であって、「私たち」が「バイオテクノロジー」を使って、(どのような人間を作りたいかという)具体的な意図を持って作り出すものだろう*3