西脇ということで

静嘉堂文庫美術館の『初春を祝う―七福うさぎがやってくる!』*1に香取秀真の「群兎文姥口釜」という茶釜が展示されていた。これは岩崎小彌太の還暦祝に西脇済三郎から贈られたものだという。西脇済三郎は新潟出身で、小彌太の英国留学時代の後輩であるという。さて、新潟の「西脇」ということで先ず思い浮かぶのは、詩人/英文学者の西脇順三郎*2だけど、この西脇済三郎*3とは「親戚」。どのような「親戚」なのかと思ったのだけど、小千谷産業「西脇家の歴史」という頁に西脇家の系図がある*4。それによると、順三郎の高祖父に吉郎右衛門という人がいて、その子どもに「吉郎右衛門」という名を世襲した人がいて、これが済三郎の曾祖父である。その兄の儀助は順三郎の曾祖父。小千谷の西脇家の祖とされるのは、儀助吉郎右衛門兄弟の祖父に当たる人*5で、元禄年間、つまり五代将軍徳川綱吉の時代に小千谷に定住したという。この時代には、ふらりとやって来て定住した余所者が一代か二代のうちに近在一の大地主・富豪になることを可能にする特別な条件があったのだろうか?