バッファーとしての言語

中井久夫「トラウマについての断想」*1(in 『日時計の影』)によると、阪神淡路大震災において、ペット(犬や猫)のPTSDは飼い主(人間)よりも深刻だったという(pp.44-46)。


(前略)ペットに比して飼い主の地震に対する反応は非常に軽い。それはどうしてであろうか。さまざまな付随的事情が飼い主に有利なこともあろうが、ヒトが開発した言語の存在が大きいと思われる。言語は伝承と教育によって「地震」という説明を与えた。家族・近隣との会話を与えた。そして、ヒトの五官は動物に比べて格段に鈍感である。それは大脳新皮質の相当部分が言語活動に転用されたためもあり、また、そもそも、言語がイメージの圧倒的な衝迫を減圧する働きを持っていることにもよるだろう。(p.47)
国語教育というのはメンタル・ヘルス教育という側面も有していることになる。また、ヒトであっても、言語以前的な存在である赤ん坊は感覚的ショックを直接感じ取らざるを得ないといえるか?*2