政子の働き

野口実『北条時政*1から。
北条政子*2の(隠された)働きについて。


政子は頼朝や北条氏が権力を確立していく過程で犠牲になった女性たちの救済につとめている。たとえば政子は木曽義仲の妹宮菊を自らの猶子として保護したし、義経の逃走先を尋問するために鎌倉に送致された静御前の心中を慮り、父を探すために鎌倉に下った身寄りのない舞女微妙には出家後の生活を助け、義父景時以下の一族が滅亡したために身を隠していた梶原景高の妻の所領を安堵するなど、彼女は夫の権力行使によって生じた負の部分を繕う役割を果たしたのである(野村 二〇〇〇*3)。(pp.161-162)
また、

鎌倉幕府は日本史上最も猛々しい男たちの政権であるというイメージが強い。たしかに幕府による御家人把握の原理(「御家人別」)は男系を前提とした「惣領制」によるものであるが、在地における族的結合においては外戚原理を中核とした母系制に基づくものであった(鈴木 一九八〇*4)。もちろん女性委は財産相続権があって夫婦はそれぞれの所領を有しており、それを子女に譲与したのである。この時代の幕府政治の動向も、そうした社会背景を踏まえて考察しなければならない。たしかに妻は夫をフォローする従属的な立場にはあったが、その影響力は中世後期以降の妻のそれに比して相当大きいものであったといえるのである。頼朝における北条政子同様に、北条時政における牧の方の果たした役割も評価し直す必要があるだろう。(pp.162-163)