ヤマト/大和(メモ)

木下達史「『江戸前の漁民―芝・金杉浦の記憶―』を書いて思うこと」『資料館だより』(港区立港郷土資料館)43、2000、p.2


2000年の文章。
曰く、


歴史や民俗を語る上で、最近とても印象的な出来事があった。先日、5月24日から27日にかけて、大阪で「関西ミュージアムメッセ」というイベントが開催された。このメッセは、関西地域の美術館・博物館が一堂に会す画期的なイベントであったのであるが、わたしは日本展示学会をお世話している関係で参加した。多くの出展博物館の中には広島県呉市が現在計画をしている「呉市海事博物館(仮称)」準備室に参加されていた。戦争を体験されている世代であれば、呉市と聞けば造船の要所であり戦艦大和が製造された場所として記憶されているに違いない。会期が終了し、会社に戻り大和の話を今年入社した女性に話したところ、彼女にとって「やまと」と聞くと、「戦艦大和」より松本零士氏の漫画である「宇宙戦艦ヤマト」の方をまずイメージするというのである。早い話が、戦艦大和と聞いてもほとんど興味を示さないという現実がすでにあるということである。
さて、2006年8月の『朝日新聞』の記事は「呉市海事博物館」について、

 広島県呉市大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の入館者は昨年4月のオープン後、すでに約217万人を記録。大和の乗組員の遺書の展示もあるが、人気の的は戦艦大和の10分の1の模型だ。

 家族で大阪から見物に来た稲田雅巳さん(19)は「最後の参拝を妥協してほしくなかった」と首相を支持。一方、広島市の大学生上田裕子さん(19)は「アジアの感情を考えれば、次の首相は参拝しないで」と訴えた。

 被爆で亡くなった姉2人の冥福を祈った広島市西区の主婦(62)は「A級戦犯は原爆が使われた戦争に責任がある人々。行ってほしくなかった」という。従軍中のけがで帰還中に被爆した広島市中区の三浦実さん(86)は「本当に複雑」と言った。「靖国で会おう」と言って亡くなった戦友を思えば、首相に参拝してほしい。でも、原爆でひどい目にあわされたのは誰のせいかと考えると思いは乱れる。だからこそ、「国民や周辺国に複雑な思いがあるのに、すべて自分の『心の問題』と片づけるのはあまりに乱暴」に思えた。

と記述している*1
そういえば、右翼の街宣車が「さらば地球よ/旅立つ船は」という『宇宙戦艦ヤマト』(アニメ)の主題歌を流しながら走っているのを見て吃驚したのは2000年の秋頃だった*2