Another Joker?

週刊SPA!編集部「安倍氏銃撃事件は「下級国民のテロリズム」?山上容疑者を支持する声が浮かび上がらせるもの」https://news.yahoo.co.jp/articles/b92ad73c23437bf1018e549b6f26206302a25f19


山上徹也による安倍晋三殺しに関する、「山上容疑者は、経済的・社会的弱者にとってのダークヒーロー、“下級国民の神”になりつつあると感じます」という橘玲*1へのインタヴュー記事。


橘氏は銃撃事件を「下級国民のテロリズム」と表現する。

「山上容疑者は映画『ジョーカー』に強い関心を示し、私の解説記事も読んでいたようです。私はそこで、社会から排除された白人男性の主人公が絶対的な悪へと変貌する物語を『下級国民の反乱』と述べました。山上も自身の境遇をジョーカーに重ね合わせたのではないでしょうか。

報道を見ても、自衛隊退官後に複数の職場を転々としていた時期の同僚や友人の証言がほぼ出てこず、本当に誰とも交流がなかったのかもしれない。人はここまで孤独になれるのかと、考えさせられました」

そうなんだ! 昨年の京王線事件の服部恭太*2と同様に!さて、「下級国民のテロリズム」は一般に、服部や(先日処刑された)加藤智大もそうだったように、無差別攻撃のかたちを取る。山上は抑々統一協会の女家長、韓鶴子を殺そうと考えたが不可能だったので、代役としてターゲットを安倍晋三に変更した。奈良の事件が起きる前日にも、岡山で安倍を狙ったが、諦めている。山上がもし奈良で奈良県警のディフェンスに阻まれたとしたら、どうなっていただろうか? 安倍晋三殺しを諦めて、もっと小物の代役を殺していたのだろうか? それとも、他の「下級国民」の英雄たちと同様に無差別攻撃に奔ったのだろうか? もしかして、安倍晋三の最後の功績は、身を挺して無差別殺人を防止したこと、ということになるのか?

山上容疑者を崇拝する声があるのは、“下級国民”が増え続ける日本の縮図でもある。

「リベラル化・知識社会化が進む社会では、『自由な競争』や『自分らしく生きる』ことが至上の価値とされる一方で、競争に敗れた者は『自己責任』として社会の底辺に追いやられる。こうして“ルサンチマンを抱えた弱者”が増えていけば、いったい何が起きるのか……怖さを感じます」

ただ、山上容疑者に惹かれて崇拝する声には、“推し活”的な空気も感じるという。

「山上容疑者へのネットの称賛の声には、『こんなの(殺人者)を推すのってバカだよね、だけどそういう自分が好き』という、まさに推し活のノリも感じます。減刑を求める署名運動も、そのひとつと言えるのではないでしょうか」

「 推し活」ってそういうものなの?