「二重国籍」(メモ)

蓮舫さん*1の〈二重国籍〉問題が騒がれている。騒いでいる連中というのは、知性の構造や心情の傾向において、米国でいえばバラク・オバマの出生地についての頑なな信念を有している所謂Birther*2に近いのではないかと勝手に思っている。
二重国籍」ということを復習するためのテクストとして、


橘玲*3二重国籍の日本人はたくさんいる」http://bylines.news.yahoo.co.jp/tachibanaakira/20161024-00063051/
韓東賢*4「「国籍唯一の原則」は現実的か?――蓮舫氏の「二重国籍」問題をめぐって」http://bylines.news.yahoo.co.jp/hantonghyon/20160908-00061964/


を取り敢えずマークしておく。
さて、「国籍」の決定には属地主義と属人主義がある*5。或いは出生地主義(jus soli)と血統主義(jus sanguinis)。現代において、属人主義(血統主義)の代表は独逸や日本、属地主義(出生地主義)の代表は仏蘭西や米国。しかし、近代的な「国籍」観念として考えると、属人主義(血統主義)と属地主義(出生地主義)のどちらも仏蘭西起源である(宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生』、p.75ff.)。というか、属人主義(血統主義)が登場するのは「「国籍」の観念の近代的定式化」の嚆矢である1804年の『ナポレオン法典』のおいてであり、近代的な「国籍」観念はそもそも属人主義(血統主義)だったといえる、それによって、「国籍」は「為政者が恣意的に与えたり奪ったりできない属人的権利として確立」された。また、政治的な権利から排除された女性や子どもにも「国籍」は与えられることになり、国家による保護を可能にした(p.75)。それに対して、属地主義(出生地主義)は中世的或いはアンシャン・レジーム的な感じを残している。曰く、「アンシアン・レジームの下では、王国の領土内に生まれ、住み続けている事実は、「〇〇人」「〇〇臣民」と認められる条件になっていたようで、要するに出生地主義(jus soli)が支配的だった」(ibid.)。実際、日本を含む多くの国では、『ナポレオン法典』に倣って、属人主義(血統主義)的な「国籍観」を制度化していった。しかし、19世紀の仏蘭西プロイセンなどと緊張を高め、軍備増強に邁進していた。またその頃の仏蘭西には既に多くの外国人労働者がいたが、その子孫は属人主義(血統主義)の下では仏蘭西国内で生まれたとしても、外国人のままだった。外国人を徴兵するわけにはいかない。かくして、仏蘭西国内で生まれながらもそれまでは外国人とされてきた人々を徴兵して戦力に組み込むという意図の下に属地主義(出生地主義)への転換が行われた。1889年には、さらに徹底して、「親もフランス生まれであるフランス生まれの外国人の子には、フランス国籍を拒否する権利を認めないとした」(p.77)。

ヨーロッパ市民の誕生―開かれたシティズンシップへ (岩波新書)

ヨーロッパ市民の誕生―開かれたシティズンシップへ (岩波新書)