蘇る「感覚」

井上涼「なつかしい一冊 工藤直子長新太絵『ともだちは海のにおい』」『毎日新聞』2022年1月8日


工藤直子長新太*1の『ともだちは海のにおい』について、次のように語られる;


小学4年生ごろに一度だけ読み、すごく印象に残っていたけど、内容はほとんど覚えていなかった。「いるかとくじらが仲良くなる」以外のことが何も頭に残っていなかったのだ。でも昨年、ひさしぶりにこの本を見かけた時、確かな「読んですごくよかった本だ!」という感覚が蘇ってきて不思議だった。それがなぜなのか、改めて読み返してみてわかった。
この本は、心地のいい海の中のように作られている。それは造本の話だ。本を開いたときに、ぱっ、とページ全体を明るく感じる。それは、文字どうし・行どうしの間隔がたっぷり空けられているからだ。文字の隙間に座って留まれそうなほどである。
そしてひらがなが多く、読点がたくさん打たれているので、ゆっくりよした気分になって読める。紙は優しい感触のものが使われている。随所に入る長新太のイラストはぽかんとした線で描かれている。読んでいると明るくて広くて静かな空間にいるようなのだ。
たぶんそれはこんな感じのところだ。海の中の、太陽の光が射すくらいのほどほどな深さで、潮の流れはちょうどよく、シャコなどの乱暴者もおらず、水の底に映る光のユラユラだけを見ながら深く安心しているような、そういう”場所”。それを本の姿から感じられた。そしてそれはいるかとくじらが行き来する、文で描かれている世界と一致している。
おそらく小学生の私も、同じような居心地のよさをこの本に感じただろう。ずっと留まりたいような、でもすぐに外に出られもするような、境目があいまいなやさしい場所。そして、おそらくそうした場所をカバンに入れて持っている安心感もあっただろう。ほどよい厚みと重さは、「この本の中にはあの場所がある」という感想を小学4年生の私に持たせたに違いない。