イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」*1では、「弊店では1968年以来魂はご用意してございません」と歌われていたのだった。
さて、元維新の米山隆一氏*2のツィート;
維新塾に行くと、政策より選挙方法何より先に、なんと「維新スピリッツ(維新魂)」を教えられ、この「維新スピリッツ」が足りないと判断された人は、批判され、候補者として認められません。又この「維新スピリッツの理解」は、党内で極めて重要な評価基準になります。空恐ろしい所です。 https://t.co/eZ1ChkGEOU
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) 2022年4月17日
「維新スピリッツ」はどのような仕方で「教えられ」るのだろうか? また、「維新スピリッツの理解」はどのような仕方で外面的に表現されるのだろうか? その有無とか度合いはどのような仕方で判定されるのだろうか?
たしかに、これらは「政策」とか「選挙方法」よりも社会学的には重要な問題だ。
*1:Mentoned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070518/1179458835
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161017/1476711321 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161222/1482414028 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171007/1507341407 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180720/1532106167 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180722/1532277099 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/09/083638 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/11/13/102550