忘れていたのは何方か

香山リカ*1「「記憶にありません」困る」『毎日新聞』2021年3月24日


曰く、


(前略)あるときやってきた70代の女性は「夫のもの忘れがひどいんです。認知症だと思うんです」と話した。同伴していた夫にも〔診察室に〕入室してもらい、簡単な認知症の心理テストを行うと、たしかに若干、記憶の障害がありそうだ。
「脳のMRIなどもやった方がよさそうですね。ほかに病気がないかもよく調べましょう」と検査を進め、「認知症のごく初期」という診断がついた。
しかし、妻は「初期じゃない、重度です」と言い張る。自分の誕生日も忘れてしまい「おめでとう」の言葉がなかった、正月に孫にお年玉をあげるのも忘れた、などと言うのだ。私はそこでようやく「あっ」と気づいて夫にたしかめると、いずれもちゃんと実行したという。
実は、すべてを忘れていたのは妻の方だったのである。その後、専門家に紹介して妻への認知症の治療が始まった。夫はそんな妻を責めることなく、いたわりながら病院に付き添ったと聞いた。