「傷」は自覚されているか

橋爪大三郎*1「古川順弘著『仏像破壊の日本史 神仏分離廃仏毀釈の闇』」『毎日新聞』2021年1月23日


橋爪氏曰く、


神仏分離令を追い風に、暴徒が寺院に押しかけ仏像を破壊。廃仏毀釈は、まるで文化大革命だ。この残骸の上に国家神道が築かれた。仏像修復もよいが、精神の被った深い傷を覚え、修復する方が大事である。
維新期の「神仏分離」や「廃仏毀釈」が日本人の精神に与えたインパクトは大きい。当然「深い傷」もあるだろう。しかし、どれほどその「傷」が一般に自覚されていることやら。私たちにとって、「仏教/神道は別々のもの」というのは当り前のこととなっている。逆に、神仏の歴史的不可分性を思い出すことの方が苦労する。その意味で、「いまも」「神仏分離」と「廃仏毀釈」の「呪縛は解けていない」。
神仏分離」と「廃仏毀釈」の知識を得ることの効用として、中国の文化大革命或いはタリバンやISISといったイスラーム原理主義の所業を、他人事とせず、人間の暗い可能性として理解する契機を得られるということがあるだろうか。
さて、「神仏分離」と「廃仏毀釈」を巡っては、数年前に鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』*2が刊行され、さらに古くは安丸良夫先生の『神々の明治維新*3もある。古川本とこれらの先行業績との比較というのは短評では望むべくもないのだろう。