映画と小説

山下ゆ*1村上春樹『女のいない男たち』」https://morningrain.hatenablog.com/entry/2022/03/15/231200


濱口竜介の映画『ドライブ・マイ・カー』*2と原作である村上春樹の短篇小説「ドライブ・マイ・カー」*3の比較。以下所謂ネタバレが含まれるので、未見/未読の方は注意されたし。


映画はこの短編集*4の中から「ドライブ・マイ・カー」だけではなく、「シェエラザード」、「木野」という2つの短編の要素を組み込んでいます。 

 「シェエラザード」からは、セックスのあとに語られる物語が映画で使われています。やつめうなぎの話や想いを寄せる彼の家に空き巣に入る話は、ここからとらえています。

 映画の中での、「僕は傷つくべきときに十分に傷つかなかった」というセリフが印象に残っている人もいるかもしれませんが、これは「木野」の中に出てきます。


設定は映画とほとんど同じなのですが、大きな違いは小説では主人公の家福が車の運転を禁止されているのに対して、映画では注意するようには言われているものの禁止されてはいない点です。

 つまり、小説の家福は不能ですが、映画の家福は不能ではありません。

 

 実際、小説では家福は高槻との交流を終わらせており、「憑き物が落ちた」状態です。

 映画では運転手となったみさきとの関わりの中で家福が変わっていきますが、小説ではみさきによって家福の過去が肯定されるような形になっています。

 小説にあるのは「解釈」ですが、それでは映像になりにくいので、映画ではこれを「行動と変化」の話にしているわけです。

小説と映画の差異ということだと、やはりチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の存在感の増大だろう。もう一つの原作として「ワーニャ伯父さん」をクレディットに加えてもいいくらい。