それは「Bという雑誌」の企画だった。
世の中に切腹愛好家数多しといえども、実際に生の切腹を見たことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとりなのだった。(p.9)
さて、Kという「変態雑誌」は『奇譚クラブ』だろう。私も実物を見たことは殆どないが、伝説の「変態雑誌」として、その名前は知っている。
あれは、 Bという雑誌であった。ある日とつぜん電話がかかってきて、切腹の実演を見ませんか、そしてそれについて書きませんかと言われた。
Bは、変態がテーマの雑誌だった。変態雑誌なら、その昔、Kという雑誌があった。K誌の名は、切腹好きならみんな知っている。千葉徳爾先生の『切腹の話』*2は一九七二年の発行だ。切腹愛好家なら、みんな読んでいる名著である。そこに引かれたいくつもの切腹例が、まさにこのK誌からの引用で、わたしにはポルノ的粉飾と実録の区別がつかなかったものだから、目を輝かせて読みふけった。そのうち、自分が興味あるのは、深刻な実録ではなく、ポルノ的粉飾のある文芸作品なのかもしれないということに思い至った。
わたしが名著『切腹の話』を読んだときには、K誌はもう廃刊されていたと思う。今のように古本や古雑誌の手に入りやすい時代ではなかったから、本物を見たことは一度もない。SM、革フェチ、緊縛、妊婦、スカトロ、なんでもありだった。その中に切腹は、どうどうと一ジャンルを作っていたのである*3。(pp.10-11)
ちょっとWikipediaを写しておく;
『奇譚クラブ』(きたんクラブ)は、1947年(昭和22年)11月より1975年(昭和50年)3月まで出版された、サディズム・マゾヒズム・フェティシズムなどを専門に扱った性風俗雑誌。1954年(昭和29年)3月と1955年(昭和30年)5月に一時発行禁止処分を受けた。B5版のカストリ雑誌として出発したが、1952年5・6月合併号よりA5版にリニューアルし、以降、本格的にサディズム、マゾヒズム、フェティシズム、切腹などを中心に扱う雑誌となった。出版社は、曙書房、天星社、暁出版 (大阪)と変わっている。1982年に「復刊」と称して創刊されたきたん社発行の『奇譚クラブ』は後続関係にはなく、まったくの別物。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%AD%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
1980年代に存在したBという「変態雑誌」については知らない。何という雑誌だったのだろうか。
奇譚クラブはSMやフェティシズムなどの逸脱的な性嗜好に興味をもつ読者を対象にし、読み物の他に匿名の読者の文通の仲介や情報交換を行っていた。 SMを扱った文学作品としては古典の部類に入る団鬼六の『花と蛇』、沼正三の『家畜人ヤプー』はこの雑誌に発表されたもの。創刊当初からエログロとしての女相撲に関する記事を継続的に発信し、その後も女子プロレスなどを形容する際に使われる「女闘美」という言葉を誕生させた。1947年12月号には男娼、男妾の記事があり、創刊年の頃から男色や男性同性愛についても取り上げていた。歴史学者の河原梓水によると、女性史・服装史研究家・作家の村上信彦は「吾妻新」の筆名で多数の寄稿をしていたという。また作曲家の 矢代秋雄も「麻生保」の筆名で熱心に投稿していた。
1997年(平成9年)11月(出版50周年)に 平成版 奇譚クラブ がユニ報創より出版され、不定期ながらも翌年7月(新装3号)までの出版が確認されている。新創刊ではなく新装刊としており復刊を意識した巻頭挨拶文が掲載されている。内容はSMも扱う風俗誌と言うもので、昭和40年代の奇譚クラブに掲載されていた記事やモノクロ写真を幾つか再掲載している。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060224/1140794823 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170512/1494553215 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180313/1520913200 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/03/18/005829
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060901/1157134383
*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160216/1455579117 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180531/1527781363