戦争が契機だった

2021年版の『女系家族*1の「矢島嘉蔵」の葬儀のシーンで、寺島しのぶ水川あさみ山本美月の三姉妹は白い喪服を着ている*2
ちょっと調べてみたのだけど、喪服が黒か白かというのは地域の影響よりも時代や階級の影響の方が強いようだ。


「白い時もあった喪服。喪服が黒い理由とは?」https://www.sougi.info/column/column_076


これによると、黒い喪服というのは西洋化の一環として導入された*3


1878(明治11)年に、「維新の三傑」の1人で、現代でいうところの首相にあたる、初代内務卿を務めた大久保利通が暗殺されます。その大久保利通のご葬儀は、多くの諸外国の国賓から注目されました。それを考慮した政府から、「会葬者は喪服を黒で統一するように」とのお達しがありました。

また、1897(明治30)年の皇室のご葬儀に列席した欧米諸国の賓客たちが、ヨーロッパ王室式の黒い喪服を揃って着用していたのを見た政府首脳部は、日本人の会葬者にも黒い喪服をしつらえさせました。

これらをきっかけとして、上流階級の人々の間で、黒を国際標準の喪服の色として認識する気風が広まり、1915(大正4)年の皇室令により、宮中参内の喪服は、帯締め帯揚げ・足袋は白で、それ以外は黒を着用することが正式に定められました。

さらに、「黒」が定着する契機となったのが第二次世界大戦だった;

庶民に黒の喪服が広がったきっかけとなったのが、第二次世界大戦でした。

当時の喪服は、貸衣装を着用することが一般的で、貸衣装屋には白と黒の喪服が混在していました。第二次世界大戦によって日本中に戦死者が急増し、貸衣装屋で喪服を借りる人も急増しますが、借りる頻度が増えたことで白い喪服は汚れが目立ち、直ぐに使い物にならなくなってしまいました。そこで、貸衣装屋は、汚れが目立たず手入れのしやすい黒の喪服を揃えるようになりました。その後、手入れのしやすさや喪服を黒に統一している欧米諸国の影響もあり、急速に黒い喪服が庶民にも広まっていきました。

また、冠婚葬祭のマナー意識も、第二次世界大戦をきっかけに大きな変化がありました。
戦前では、喪服を着用するのは遺族だけでよいと考えられていました。しかし、戦後、ご葬儀自体が社会的に大切な通過儀礼として認知され、冠婚葬祭のマナーを身に付けようとする意識が急速に人々に浸透し、ご遺族だけでなく会葬者もマナーとして黒の喪服を着用する考えが広まって行ったのです。