中途半端

南麻理江*1「褒めてくれた人すら疑う「自己評価が低いひとのめんどくさい心模様」が話題 作者のねらい」https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/10/spica-san_a_23432121/


曰く、


イラストレーターのすぴかあやか(@spicagraph)さんがTwitterに投稿した「自己評価が低いひとのめんどくさい心模様」という漫画ツイート*2が話題を呼んでいる。

自己評価が低い人の思考プロセスを、壁に向かってボールを投げる人に例えて漫画にしたところ、「わかりみが深い」「わかりすぎて辛い」などのコメントが相次ぎ、5月11日時点で16万9000いいね、7万6000リツイートを集めている。

ある行動や挑戦を「ボール」に、他人を「壁」に見立てて、自分自身の価値を自分で認めることがなかなかできない人の心理を描いた。

ざくっというと、

・自己評価の低い人は、他人の褒め言葉でしか自分を評価できない

・凹むことがあると、褒めてくれた他人さえも疑ってしまう

・他人に褒められても自分自身の価値とは思わず、自分の行動している事がらが褒められていると思う

・他人に褒められても、「自分を褒めるなんて大丈夫?」とその人を疑ってしまう

「他人に褒められても自分自身の価値とは思わず、自分の行動している事がらが褒められていると思う」というのは、多分「個人として尊重される」経験の欠如(不足)ということと関係があるのだろう*3
「他人に褒められても、「自分を褒めるなんて大丈夫?」とその人を疑ってしまう」ということだけど、ここで特徴的なのは、「自己評価」が「低い」にも拘わらず、自らの判断力というか「自分を褒めるなんて大丈夫?」という判断の妥当性についての懐疑が一切ないということだ。その判断が妥当であるのは自明の事柄のようだ。こういう人の「自己評価」というのは中途半端に高いと言っても不当ではないだろう。だからと言って、背中を押して、さらに「自己評価」の谷間に突き落とすべきなのかどうか。さて、これは仏教的な視角から見れば、これは末法の世の凡夫としてはきわめて普通のことなのかも知れない。弥陀の本願によって既に救われている筈なのにそれを信じることができないというのが末世の凡夫の浅ましさなのである、親鸞に従えば。
See also


福田瑠千代*4「「自己評価が低い人」の心理を「ボールの飛距離=自分の力」で表した漫画に「分かる」「完全に自分」の声」http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1805/12/news008.html