「隔絶」の人

鈴木忠平「落合博満への緊張感」https://news.yahoo.co.jp/articles/c0acac7514a6a29dbcf68d91d87a92ffa15822b8


『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』の著者が落合博満*1との関係について語る。


落合は誰かと繋がろうとも、理解してもらおうともしなかった。承認と同調を求める社会にあって孤立している。時代との、その圧倒的な隔絶が、書き手を駆り立てるのだ。
という。
落合と最初に会ったとき;

もう15年ほど前になるが、私が初めて自らの意志で落合を取材しに行った日がある。東京・世田谷の落合邸、門前に立っていた私に、玄関を出てきた落合はこう問いかけた。

「お前、ひとりか?」

 独りで来た者の取材には応じる。それが落合のルールだった。スタジアムへ向かうタクシーの中、落合はこちらの問いをじっと待っていた。車内の空気が張りつめていた。28歳、末席の記者だった私は、ごくりと唾を飲み込んで、質問を発した――。

「落合に対してだけは何度会っても、どれだけ同じ時を過ごしても、緊張が消えなかった」――

落合と2人で酒を飲んだことはない。「お前にだけは教えてやる」と情報をもらったこともない。だが、手土産を持っていき、「つまらないものですが」と差し出すと、落合はこう忠告した。

「つまらないものなら持ってくるな。それは遜(へりくだ)っているのかもしれないが、受け取る側はどう思う? 自分が絶対に美味いと思うものです、と渡された方が気分良くないか?」

 シーズン中に休暇を取ろうとすると、釘を刺された。

「お前、休むのか? 俺たちはプロだ。シーズン中は毎日、野球をやってる。それを見てなくて、お前、俺たちのことを原稿に書けるのか?」

 落合は情実的な繋がりを持とうとはしなかった。その代わり、会社員である記者にもプロとプロの関係を求めた。